いくらか不便な思いをしながら、大まかな予定だけ立ててバイクに乗って友人と数日間の旅に出るというのが、若い頃は気に入っていた。とうに結婚して子供もいた上での所業だから、子供二人と家においておかれる妻は当然不機嫌になる。ろくな稼ぎもないくせに矢鱈にそういうことをしでかしていたのは、かなりのハイペースで作品を作り始めた頃で、自分の作品や先行きに対して感じていた不安の、裏返しの行動だったのかもしれないが、ともかく、何かひとつでも自分のすることに後ろめたさを感じてしまったら、一気に崩れてしまうような予感はあった。

三十代の頃に、当時教えていた学校の生徒達と連れ立って、二年続けて一週間ほどの日程で小笠原の父島に魚釣りに行ったことがある。当時は通信衛星が今ほど機能していなかったから、島に着くとラジオもテレビもいっさい役に立たない。聞こえるのは人の話し声と波の音だけで、毎日の食事はその日に釣った魚だけという生活は、1980年代といえども得がたい体験だった。同じ顔ぶれでずっと一緒に行動していると、軽口の間の沈黙が日に日に重く深くなってくる。日中の屋外では肌を露出してはいけないと言われるほどの猛烈な陽射しの強さと、身体の芯のところで漂っている冷たい不安の塊のコントラストがどんどん強くなってきて、初めてその塊の輪郭を見たような気がした。形の見えるものは、恐れる必要はなくなる。

夏のおわりになって、やっと何日かまとめて休みが取れたので、今年は子犬を連れて福島の山の中に小さな旅をした。今でもできるだけアバウトに最低限のことだけ見当をつけて旅をしたいのだが、今回は、まだ生後1年にも満たない子犬が一緒なのでそうもいかない。それでも、犬連れでも宿泊可能というコテージをインターネットで見つけて、数日間のねぐらだけを確保して出かけた。犬連れを口実にずいぶんダラな旅をするようになったと我ながら思う。コテージというのは、そこのオーナーの手作りの小屋で、服飾関係の専門学校の教師の職から脱サラして開いたものだという。夏の間は避暑客を相手にし、冬にはスキーやスノボの客を相手にして、客の少ない時期には大工仕事で設備を充実して生活しているとか。自宅には、古いアメリカのブリキの玩具のコレクションがあちこちに置いてあり、ビンテージカーに凝っていて数台所有しているらしい。脱サラ願望の人が聞いたら涎が出るような生活なのかもしれない。

私は、どんなに想像力を使ってもその生活にリアリティーを感じることができなかった。いいとか悪いとかいう話ではもちろんない。そういう生活というのはどういう気分だろうと、自分に解り易い形に置き換えてみたら、ふと風景画家という言葉が浮かんだ。自然と格闘しても、やっぱり自然にはかなわねぇや、などと口にしながら、気に入った風景を毎日絵に描いて、それがまずまずの値段で人手に渡って、それでまんざらでもないと思える生活。 やっぱり私にはできそうもない。