スピード違反で捕まりかけた。

自宅の傍の環状二号線という道路で、信号の変わり目に、オートバイで勢い良く飛び出したら、白バイに停められた。オートバイで車と並走するのは、他の車のドライバーの注意力を基本的に信用していない私には怖いことで、その時も車と一定の距離を保つためにダッシュしたのだが、ちょっとだけ「猛」がついてしまった。しおらしく道路の左側に寄せてオートバイから降り、グローブ、ゴーグル、眼鏡、ヘルメットの順に脱いでいったら、警官がゆっくりと歩いてきて、「あんなに飛ばしちゃ駄目だよ」と言う。ウエストポーチから免許証の入った財布を出そうとモタモタしていたら、「今度から気をつけて」と言って警官はさっさと白バイに乗って行ってしまった。オートバイでこれと同じ経験をしたのは、今度で三度目である。車だと絶対に見逃してはくれないだろうが、年寄りのオートバイ乗りに対しては、白バイの警官はシンパシーでもあるのだろうか。

我が家の周辺は、数年前、ほとんど同時期に分譲された住宅地に十数軒の家が並んでいる。その大半に、三十代の夫婦と子供のいる家族が住んでいるので、結果的に私は、その一角の平均年齢を引き上げる存在になってしまっている。当然、それらの家庭の子供達もまだ幼く、一番年長で中学生、最近生まれたばかりの子供や、これから生まれようとしている子供もいるぐらいで、休日はなかなか賑やかである。そういう風景を眺めていると、ついこちらの歳を忘れてしまうのだが、向こうから見ればこちらは立派なじいさんだ。自分が周りのお父さん達の年頃にどうだったかということをふと思い出すと、月収二万円ぐらいの生活をようやく抜け出そうかというところで、半ば自嘲も込めて月間エツカワと呼んでいたぐらい頻繁に個展やグループ展を繰り返しており、作品を作っているとき以外はほとんど専業主夫状態だったから、それに比べるとみんな偉いなぁと、素朴に感心してしまう。

当時から数年前迄、二十数年間住んでいたのは、藤沢の鵠沼という湘南地区では有数のブランド住宅地にある古い借家で、周囲の住民との年齢も、生活レベルも、価値観も全く異なっていて、しかも私道のどん詰まりの、ビンの底のようなところにある家だったから、近隣の住民との交流もほとんどなかった。突然古い借家に入ってきたピアノ教師をして生計を立てている(らしい)奥さんと、二人の娘と、私道いっぱいに材木を広げてシンナーのにおいを辺り構わずまき散らして、訳の解らないものを作っているオヤジのいる四人家族は、折に触れて奥さんへの同情を感じることはあるとしても、あまり付き合いたい相手ではないだろう。それでも、はす向かいに住む野村さんという家のおばあさんだけは、時々絶妙なタイミングで声をかけてくれたものだ。

野村家は、私がそこに住むようになってしばらくしてから新築して引っ越してきた家で、長い間特定郵便局を営んでいて、息子はどこかの銀行に勤めるエリート銀行員だったが、おばあさんは、身支度のきれいな気の強そうな人で、どこか浮世離れした雰囲気を持っていた。いつものように傍若無人に私道に材木を広げていて、疲れたり、思うように行かなくて道にへたり込んでいたりすると、おもむろに玄関から顔を出す。向こうは、盛り土した宅地の植木の間から、地面に座り込んだ私を見下ろす構図になるのだが、いきなり「ご主人、できましたか」と真顔で問いかける。いずれにしても、こちらはかなり煮詰まっていて、そんなところでご近所さんに愛敬を振りまく余裕はなく、ついいい加減な返事をしてしまうのだが、そういう時に決まって野村さんは「ご主人、芸術家は悶えなくてはいけません。息子にもいつも言ってるんです、男は悶えなくてはいけません。」そう言って家に入ってしまう。私の頭の中では、銀行員の男が一人で悶えている危ないイメージが広がるのだけで、その時はそれ以外のことは全く想像できなかった。この激励というか奇襲攻撃というか、野村さんの、場所をわきまえるようにというアピールの高等テクニックは、相手がよほど敏感でない限り伝わらないほど洗練されていたから、私ごとき野蛮人には全く通用しなかった。

今の住まいで、当時と同じような作品を作っていたら、近所の若い家族の目に、私はどう映るのだろう。白バイ隊員と白髪頭のオートバイ乗りとの間のような友情(?) はあり得ないだろうし、野村さんのような高等テクニックを駆使するには皆若すぎるから、きっと双方とも気まずい思いをすることになるのかもしれない。作品が家の外に飛び出さないように、祈るのみである。