晦日の夜に横浜の仕事場からそのまま伊豆のアトリエに行った。

冬の伊豆といえば、穏やかな気候の印象を持つ人は多いかもしれないが、アトリエの建物は700メートルの山の上にあるから酷く寒い。早朝など、時には零下の気温になることも珍しくは無い。 しかも建物の半地下にあるアトリエは、四方がコンクリートが剥き出しの壁で、火の気が無いときている。以前はここに、公立の学校の教室に良くあるタイプの、 大型の石油ストーブを置いて暖を取っていたが、階段伝いに暖気が上に上がって、なおかつ仕事場も暖めるには膨大な灯油が必要なことに気づいて、使うのを止めてしまった。昨年の冬から、 一階に友人たちに手伝ってもらって自力で薪ストーブをつけて、それで居住スペースを暖めている。おかげで、居住スペースは格段に居心地が良くなって、いったん部屋が暖まると薄手の セーター一枚でも平気なほどになったが、下のアトリエとの落差はますます大きくなってしまった。

今は、比較的大きな作品を作っているので、いったん手をつけると最低でも一時間ぐらいは描きつづけることになるのだが、実際には作品に触っていなくても、 何もしないでただ眺めている時間がほしい時がある。ところが、ふと気がつくと手先足先がジンジンと痛くなっているようでは、それもおぼつかないで、急いで一階にあがっていきストーブにかじりつくことになる。一日中その繰り返しである。

周囲は、ポツンポツンと建っている建物以外はすべて雑木林だから、薪には不自由しないし、いちいち山の下の町まで灯油を買いに行くことを考えたら、手間もかからないと 思って取り付けた薪ストーブだが、その思惑は半分正解で半分間違いだった。薪ストーブは、空気口で空気の取入れを調整すれば、ある程度火力の調整は可能だから、薪の燃焼時間も延ばすことはできる。ただ、それも限界があって、直径10センチぐらいの丸太が二時間もてばいいほうである。燃え尽きて、赤い熾き火が残っているうちに次の薪を焼べないと、面倒なことになるから、結局朝起きてから夜寝るまでの間に7−8本は薪を消化してしまうことになる。結構頻繁に補充しておく必要があるのだ。

適当な大きさの倒木のある林に見当をつけて、チェーンソーを車に積んで薪集めに行く。朽ちて倒れた樹は、燃料にはならない。あっという間に燃えてしまう。理想的なのは、秋の台風シーズンに風の通り道になって根こそぎ倒された樹で、しかも車の通れる道からあまり遠く離れていない場所にあることである。見つけると、チェーンソーのガソリンエンジンをかけて、直径5センチから20センチぐらい迄の間の太さの幹を、50センチぐらいの長さにぶつ切りにしていく。鳥の声しか聞こえない雑木林の中で、とてつもない大音響でチェーンソーを振り回すのは、小心者の都市生活者にはかなり犯罪的な気分のする行為である。

山奥の、完全に野放しにされている雑木林でも地主はいるだろうし、しかも朽ち果てるだけの倒木を切っているとは言え、その倒木も私有財産の一部だと言われれば確かにそうかも知れず、今にもどこからともなく癇癪持ちの親父が飛び出してきて、アンタ、ヒトノジショデナニシテンダ!?とどやされている絵が浮かぶ。もしそうなったら、他人の庭先の柿をひとつ失敬して捕まった子供のように、すみません・・・と謝っている自分の姿が目に浮かぶが、石ころひとつでも自分の土地の中にあるのは自分のものという、そういうゴウツクも腹立たしい。とりあえず、気分は廃物利用の糞ころがしである。何はともあれ、今度はそのぶつ切りの木をひとつひとつ車のところまで運び出し、積み込み、降ろして仕分けして、大きすぎるものは斧で割り積み上げる作業が待っている。

怠惰な都市生活を送っていると、暖を取るためのこんなわずかな作業ですら、結構身にこたえる。子供の頃の朧げな記憶に、台所の煮炊きから風呂まですべて薪でやっていたというのがあって、さすがに爺さんは山に柴刈りにというわけではなかったが、それでも日常生活の忙しさは今の数倍だったろう。膝が笑うのをこらえて、階段を下りて地下のアトリエに行く。晴耕雨読に憧れはまったく無いし、スローライフだのロハスだのという言葉の響きも嫌いだから、自然に帰ろうなどとは少しも思わないが、こういう不便な生活を、いつでもしたいときにできるようになれたらいいなぁとは思う。

少し寒さが緩む三月の末頃に、友人を誘って蕎麦打ちパーティーでもやるのもいいな、とふと思った。ところで、この作品は一体いつ仕上がるのだろう。一週間もいつづけられたら、きっと何とかなると思うのだが、それが出来ない。