冬の寒さが募る頃になると、毎年決まって自室で飼っている雄のカナリアがさえずりだす。今年もつい二週間ほど前の早朝から、ピーピーピーピーキュルキュルキュルと、突然息継ぎもしないで鳴き出した。毎年、冬から春の終わりまでうるさいくらい鳴いていたのが、夏の初め頃から次第に鳴かなくなり、ある日を境に微かにグルグルと喉を鳴らすだけになって、全く声を出さなくなる。夜中に、真っ暗な部屋で眠っている最中に部屋の主の都合で突然明かりを点けられたりすると、不機嫌にジジッという声を出すことがあるが、暑い間はそういうとき以外は全く声を出すことはない。

植物の開花は、メタモルフォーゼの典型のように語られることが多いが、さえずる鳥も、メタモルフォーゼのひとつと言って差し支えあるまい。鳥かごの中でちょんちょんと飛び回って餌をついばむだけの鳥と、体つきに似つかわしくないほどの声で鳴く鳥は、まったく別な生き物のようにさえ見える。秋の虫の声も春の鳥のさえずりも、彼等の生の唯一の目的である繁殖のための命懸けの叫びなのだから、凄まじく容赦のないものであるのは当たり前のことだろう。ドアを閉めた狭い自室で聞くには、耐え難いほどの声量である。

このカナリアは、今の住居に転居してから間もなく買い求めたもので、以前の住まいで、子供達がまだ小さかった頃に飼っていたのを思い出して飼い始めたものだ。最初のうち鳥籠は、家中に音の響く二階の階段近くの場所に置いてあったが、アレルギー性鼻炎だかなんだかを持つ娘の一人が、鳥の糞を自分の鼻炎の発作の犯人のひとつに仕立てたことで、以来、カナリアは私の部屋に幽閉される羽目になってしまった。他にも、我が家には小さな水槽に 15 匹ぐらいの熱帯魚と、生後一年ちょっとの仔犬が同居しているが、普段家人に可愛がられているのは犬だけである。カナリアも熱帯魚も、ほとんど私一人で世話をしている。

鳥も熱帯魚も、我が家でのデビュー当時は、一日見ていても見飽きないなどと言われていたにもかかわらず、擬人化し易く感情移入し易い新たなペットが登場すると、あまり顧みられなくなった。鳥の糞よりも、しょっちゅう顔を擦り付けている犬の抜け毛やダニの方が、鼻炎にはよっぽど質の悪いアレルゲンだろうに、未だに犬は告発されていない。有罪は確実だからである。えこ贔屓にもほどがあるというものだ。と、ここまで書いていると、まるで私だけは、小さな生き物を可愛がる心優しいおじさんみたいだ。

昔、自宅から歩けば 20 ‐ 30 分ほど離れたところに、竹下のおばあちゃんと呼んでいた祖父の姉がひとりで住んでいて、裏に畑を持っていてほとんど自給自足のような生活をしていた。腰の曲がった、丸顔で皺くちゃだらけのとても優しい小さなおばあさんだった。私は、子供の頃からなぜか親戚の受けが良くなくて、兄や姉と比べてあまり彼等にかわいがられた記憶は無いが、その竹下のおばあちゃんだけは、遊びに行くととてもかわいがってくれた。裏の畑に行く途中に井戸があって、その先の畑の入り口に大きな梅の木や無花果の木があり、特に梅の実がなる季節には、父と兄と一緒に梅干作りの材料調達ために梅の実を採りに行った。おばあちゃんは、私が実をひとつ落とすたびに、大げさに拍手をしてくれた。

ある日ひとりで竹下のおばあちゃんのうちに遊びに行って、取り留めの無い話をしておやつを貰ってごろごろしていたら、畑にでも出かけたか、近所に買い物にでも行ったのだろう、おばあちゃんの姿が見えなくなった。古いカレンダーの女優の写真がやたらに貼ってある二間続きの部屋の、通りに面した出窓のところに、おばあちゃんがかわいがっていた金魚が、 10 匹ほど泳いでいる大きめの水槽があって、全部琉金だったので、半透明の大きな尾鰭と背鰭がゆったりと揺れていた。

その不思議な動きに見とれているうちに、もしその鰭が無かったらどんな動き方をするのだろうとふと考えてしまったのがいけなかった。おばあちゃんの裁縫箱から、蟹の爪のような形をした小さな握り挟みを持ち出して、一番立派な金魚の鰭をほとんど切ってしまった。金魚はバランスを失って、体を動かすたびにぐるぐると頭と尾を軸にして回転し始めて、次第にその動きが激しくなり、水槽の中はパニック状態になってしまった。ただならぬことが起きてしまったことにようやく気づいて、私はどうしたらいいのかわからなくなって、そのまま黙っておばあちゃんのうちから抜け出して、自分の家に帰ってしまった。それ以来、親戚の中でただひとり味方だった竹下のおばあちゃんの家に、私は永久に出入り禁止になってしまった。いつだったか、母が笑いながら妻に、四人目の子供で私は人生感が変わってしまったと話していたことがある。