イシモチという魚がいる。石首魚または石持と書く。頭の中に大きめの耳石(じせき)を持っていることから付いた名前らしいが、釣り上げられると浮き袋から空気を出してグーグーと鳴く。これがなんだか愚痴を言っているように聞こえることから、関西ではグチと呼ぶところもあるらしい。丸っこい魚体にやや大きめの薄い鱗を持ち、温かみのある鈍い銀色をした魚で、割とポピュラーな魚だから魚屋の店頭でもしょっちゅう目にすることができる。売っているものは大抵網で採ったものだが、シーズンになれば、釣り好きが鱚(きす)を狙う浜辺からの投げ釣りでもかかることがある。大抵の料理は自分で作る習慣のある私は、もちろん何度も包丁で捌いて、刺身にしたり塩焼きにしたり、小振りのものを一匹丸ごと唐揚げにして、甘酢をかけたりして食べたことがある。骨が硬いので油断できないが、白身であっさりとした味の魚だ。

      

私はイシモチである、と書くと何のことやらわからない。愚痴っぽいかもしれないし、確かに頭は鈍い銀色になりつつあるが、見た目はイシモチほど穏やかではなく、むしろオコゼに近いし、塩焼きにしても、白身であっさりとした味かどうかは保証できない。イシというのは、腎臓の中にいくつもあるらしい小石のことで、だからイシモチなのだが、時々それが動き出す。本家のイシモチは頭の中に石があるらしいが、こちらはマメの中にあるというわけだ。

      

初めてそれがわかったときは、よく言われるように激痛に七転八倒した挙句のことだった。何となく腰というか背中というか、ここと確実にいえない辺りに鈍痛が始まって、よくあることだからと放っておいたら、どんどん酷くなってどんな姿勢をとってもごまかせなくなってくる。経験したことの無い種類の痛みに遭遇すると、多少どこかが痛んでもいつもほったらかしにしている私でも、さすがに本能的にこれはイカンと感じる。おまけに胃・十二指腸潰瘍で吐血して入院した挙句のことだったから、妻に救急車を呼んでもらった。病院に着くと、救急の診察室で既往症を聞かれ、件の病歴を話すとすっかり医者もそれに気をとられてしまって、盛んにいろいろな検査をするのだが、なかなか原因が定まらない。

      

救急の診察室というのは、血だらけの患者も入ってくることもあるだろうから、床もベッドもいつでも洗い流せるようになっていて、ビニールコーティングされたような薄いマットだけのベッドが薄ら寒い。看護士が一枚毛布をかけてくれるが、貧乏暮らしで重たい掛け布団に慣れている身としては、その軽さがいかにも頼りない。どんなに痛くても、原因がわからないのにむやみに痛みを止めるわけにはいかない、と医者は言うのだが、向こうが冷静な分、段々こっちは腹が立ってくる。そうこうしている内に、たまたまそこを通りがかった30代前半と思しき女医さんが、この患者さんどうしたの?と担当の少し太り気味の若い男の医者に聞いていて、石じゃないの?と言っている。そうか!それかもしれない!と、その医者は、はなはだ心もとないと言うか正直すぎる相槌を打って、エコー検査を指示して、石だとわかってやっと痛みから解放された。

      

しばらく診察室の外で休んでいると、40代半ばぐらいのいかにもベテランという風情の看護士が、大変だったねぇと慰めてくれる。いい年をして、病院で看護士に慰められるというのはかなり気恥ずかしいものだが、そこまではいいとしても、でもいい経験したんですよ、脳腫瘍と結石とお産は三大疼痛って言ってね、貴方は男の人だからお産しないでしょ、いい経験ですよ、だって。まさかそんなところで男の罪深さを説かれるとは思っていなかった私は、不覚にも、はい、などと力なく答えてしまった。

      

以来、ここ15年ぐらいの間に4度も男の罪深さを思い知らされる破目になったが、昨日辺りから、またなにやら嫌な気配がしている。かなり痛みの伴う病理検査をされたり、何度も骨折したり、酷い腰痛持ちだったりするおかげで、家族は私が痛みを訴えると、妻も娘も、また父ちゃんの得意な、命に別状無いけど痛いっていうやつ?と憎まれ口を利く。悲しいことに、私はそこでも力なく、うん、と言ってしまう。