今年の春の桜は、いつもの年よりも幾分長持ちしたような気がする。私は、植物の名前や品種には滅法暗いので、桜はソメイヨシノと八重と河津ぐらいしか区別できない。その区別も実に曖昧なもので、白っぽくて葉が出る前に花が咲くのがソメイヨシノで、花びらが団子状になっているのが八重、二月のまだ寒い時期に赤みの強い花を咲かせるのが河津というアバウトさであるが、実は300種ほどもあるらしい。

江戸の庶民は、植物や金魚などの品種改良に大変な凝り方をした。染井村に住んでいた庭師か何かが作って、吉野桜といって売り出した品種だからソメイヨシノというらしい。日本中に何百万本あるか知らないが、あの桜はすべて接ぎ木や挿し木による、一代雑種のクローンだという。今あるソメイヨシノの大半は、昭和天皇の即位の時や戦後の荒廃した国土の復興のシンボルとして植えられたもので、その頃のものはそろそろ寿命が来つつあるとか。あれだけの量のソメイヨシノを、全国の花咲かジィさんが、ひとつひとつ接ぎ木や挿し木で増やしたのかと思うと、ちょっと心が騒ぐ。

私の祖父は、私が小学校の2-3年の頃に脳梗塞か脳出血かを患って、それからは亡くなるまで足元のおぼつかない様子だったが、それ以前はとても健脚だった。ある時、その祖父が、兄と私の二人を、30キロぐらい離れたところにある山間の桜の名所に連れていくと言う。母親に、小さな青いリュックサックの中に、お弁当やらお菓子やらを入れてもらって、水筒も用意して、その当時の子供にとってはまさに勝負服といういでたちで、暖かい日差しの中を駅に向かって弾んだ気分で歩き出した。すると祖父は、隣駅の近くにもとてもいい桜があるから、そこまで歩こうと言った。

浮かれている兄と私に異存のあるわけも無く、湖に沿って、2−3キロほどの隣駅まで歩いた。そこに着いてしばらくすると、祖父は、別な理由を挙げて次の駅まで歩くと言う。そうやって、結局10キロぐらいは歩かされただろうか、ようやく列車に乗せてくれて、目的地に着いたときは兄と私はすっかり不機嫌になっていた。それでも、さすがは子供だけのことはあって、お弁当を食べてしばらく川の土手で休んでいるうちに、機嫌も良くなり足の突っ張りも取れてくる。そろそろ帰ろうかということになって、また往路と同じことの繰り返しである。但し、今度は、隣の駅ではなくて、向こうの川までとかあの樹までというのが目標で、暗くなって家にたどり着いた時は、二人ともほとんど半べそ状態であった。

このトラウマが、私の桜に対するイメージを決定付けたわけでもないだろうが、近年、この時期になると、やたらに裏声をひっくり返す男の歌手が、桜をテーマにしたセンチメンタルな歌を流すようになって、いよいよ私の桜イメージは下落していってしまった。西行の、”願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ”を持ち出すまでも無く、書かれた桜は、多くがどこか冷えた空気を感じさせるものが多く、静けさや孤独までも連想させるのだが、どうも最近は、それと真逆の扱われ方をしているものばかりが目に付くような気がする。

元々、私は、現実の桜にはそれほど関心があるほうではなく、桜がらみのお約束の、酒と肴持参の花見というのも経験が無い。桜を見に、わざわざ人込みの中に出かけるという人の気が知れないと思うくらい無関心である。それに比べると、我が老妻は桜フェチと言ってもいいぐらいの桜好きで、あそこが綺麗ここが綺麗と大騒ぎするのはいいのだが、車の助手席で桜を見つけるたびに、ヒャーッ!!とかキャーッ!!とか悲鳴を上げるので、運転しているこっちは、何か突発的なことでも起こったかとその度にドキッとさせられる。いちいち反応するのも面倒臭いし、第一運転から気が逸れるから、なんと言われても私は無視し続けるのだが、あれで自分が運転している時によく事故を起こさないものだと思う。

長持ちした今年の桜だが、ちょうど満開を迎えた頃に強風と冷たい雨にたたられた。天気予報で、明日は残念ながら花散らしの雨になりそうですといっていた。お天気キャスターは、ちょっと粋な言い回しのつもりで言っていたのかもしれないが、花散らしというのは本来違う意味の言葉だ。3月3日を花見として、翌日に若い男女が集まって大いに飲食することで、その結果、哀れ乙女の○○は花と散ったのであります、ということなのだ。それはそれで、なかなか粋な言い回しではある。