パソコンのポータルサイト(インターネットへの入り口のサイト)、例えばyahooなどには地図の項目があって、そこをクリックすると指定した場所の地図を簡単に手に入れることができる。縮尺の異なる何種類ものデータを見ることが出来るので、いささか方向音痴気味の私にはとてもありがたいコンテンツである。他の幾つかのポータルサイトにも同じようなコンテンツはあるが、検索サイトのgoogleの、googleマップというページでは、指定した地域の地図を開いて、右上のサテライトというボタンをクリックすると、同じ場所の衛星写真が出てくる。

まだ、全国津々浦々どこでも、同じように見ることが出来るというわけにはいかないようなのだが、日本国内はもちろん、北米などの大都市圏もほぼ網羅しているようだ。この衛星写真も、かなりの幅で縮尺を変えることができるから、運がよければ目的の建物も近くにいる人の形まではっきりと確認することができる。多分このページを開いたらほとんどの人がそうするだろうが、私もいっとき、自分の家のあるあたりや、エジプトのピラミッドや、ナスカの地上絵など幾つかの興味のある場所を夢中で検索してしまった。

私が物心ついた頃には、もちろんすでに航空写真というのは目にすることができていて、雑誌や新聞広告に載っているのを見るのは、日頃持っている位置感覚との微妙なずれや、地図で見ることは出来ない情報量の多さに興奮して、結構楽しいものだった。そういえば、私が生まれ育ったところには大きな湖があって、私が幼稚園に通っている頃まで、その湖の岸辺に飛行機の格納庫があり、格納庫の前から湖の中までコンクリートの傾斜路が作ってあった。時々湖に、派手にペイントした小さな水上飛行機が浮いていて、何度かはその飛行機の離着水も見たような記憶がある。その飛行機は、お金を払うと何10分かその街の上空を遊覧飛行できるということだったが、もちろん貧乏な我が家ではそんなものに乗せてもらえるわけもなく、自分の家を空から見ることが出来たらすごいなぁと、何となく想像した記憶がある。

最近と比べれば、その頃は行政のいろいろな規制が緩かったのだろうが、小型飛行機が、スピーカーで、なんだかよく聞き取れないアナウンスを流しながらぐるぐる街の上を旋回していたり、粗末な印刷の宣伝ビラを街中にばら撒いたりということも結構頻繁にされていて、普段の生活の中で私と飛行機の距離は案外近かったらしく、その水上飛行機も手の届かないものではあるけれど、とんでもない異物というようには感じていなかった。どこかに落ちたという話は聞かなかったから、客が少なかったのが理由だろう、それは、間もなく姿を消してしまった。

高いところから見下ろしたように描いた絵や地図のことを、鳥瞰図(ちょうかんず)という。同じ意味で俯瞰図(ふかんず)という言葉もあるが、鳥が見た絵という意味の鳥瞰図と呼ぶほうがロマンチックである。人が想像するしかなかったものを実際に見ることが出来るという意味では、衛星写真も、電子顕微鏡写真も、天体望遠鏡の写真もある種の興奮を感じさせてくれるものだ。電子顕微鏡写真や天体望遠鏡の写真は、ほとんどの場合、映像的にただ眺める以外の接し方をする能力が私にないので、単純にテクノロジーの進化に驚くだけしかできないが、衛星写真となると、場所の記憶と参照する楽しさがあるためか、幾分見ることに目的性を持つことができる。

ただ、最初の軽い興奮が過ぎてしまうと、興味は次々と別の場所を覗くことに水平的にスライドしていくだけで、それ以外には、ほとんど深化しないことに気づいてしまう。紙に印刷された地図からは、情報がすべて抽象化されているために、そこからさまざまな想像を巡らせていくことも可能だし、歴史や風土についてまで思いを巡らせることすらできなくもないが、ビジュアルな情報の過剰な衛星写真では、最初に表層が見えてしまったことで、時空の層は消滅してしまう。つまらない。

大き目の平面作品を作っていると、作品の全貌を見たいという強い欲求に駆られることがしばしばある。私にとっては、画面に描画材を乗せたり染ませたりという行為を積み上げていくのは、水平に枠に張った絹地に対して、とりもなおさず垂直にかかわっていくことだ。作ることで知りたいのは、それらの総和であって、やり終えた姿ではないから、出来るだけ全貌は眺めないように仕事を進めていくことにしている。そうして作っていくと、ぶらぶらと歩き回って、目にしたものごとや、足の筋肉のだるさなどが複雑に絡み合って記憶した場所のような、そういうイメージが少しずつ私の中に出来上がっていく。作り終えた後で、どこかで必ず作品の全貌をまじまじと見る羽目にはなるのだが、その時も私の目が、天空から見下ろす慧眼の鳶の目ではなく、飛べないニワトリの目になっていると、少し嬉しい。

何かの本で、虫瞰図という言葉に出遭った気がしたが、改めて辞書を引いてみたらそういう言葉は載っていない。鳥瞰図から誰かが造語したのだろう。どうせ造語なら、鶏瞰図という言葉をどこかで勝手に使ってみようか。