(1)
梅雨空の下、父の眠る故郷の寺の墓に母の納骨をすることになり、出かけた。飛行機から降りると、それまでかなり強い雨が降っていたという故郷は、薄く陽が射していてむせるような暑さだった。飛行場は、故郷でも最もパンチのある方言で有名な地域にあり、暑さに急き立てられるように飛び乗ったタクシーの運転手は、どこかで見たことがあるような顔立ちをしていて、ヘビー級のパンチの持ち主だった。さすがに故郷を離れて40年近くも経つと、とっさにネイティヴの方言を駆使できる自信はなかったが、ヒアリングに不安を感じたことは無かったのに、運転手は、観光客らしく見える私にかなり気を使って喋っているのにもかかわらず、言葉がほとんど聞き取れない。○△◇※××??ですか、と話しかけられ、一度は聞き返したものの後はええ、まあ、と返事するしかない。予約しておいたホテルに到着する頃には、双方あまり会話しないほうが無難だという暗黙の同意に達していた。
夕食をホテルでとるにはちょっと遅い時間だったので、荷物を部屋においてすぐに外に出かけた。ホテルのある場所は、私の生家のあったところから川を挟んだ反対側で、湖と城の掘割とに囲まれた、一帯に幾つかの官公庁が集まっている静かなところだったが、何軒か観光客目当ての、筆書きの文字が大仰な看板に躍っているような店があるだけで、気軽に一人で入れそうな店がまったく見当たらない。それでも、記憶をたどって、湖のほとりから著名な料亭や、漆器の老舗や、お茶屋や、和菓子屋のある商店街も歩いてみたが、古い城下町のことだから規制でもあるのだろうか、コンビにすらない。そういえば、その辺りに生前父が贔屓にしていた、手打ちの蕎麦屋があったはずだと思い出して歩いていくと、間口の小さいしもた屋風の家の前に小さな看板が出ていた。土曜の夜だというのに、本日休業の札だった。
橋を渡って生家のあったほうに行けば、それでも何軒かはこじんまりした店で、質のいい料理を食べさせてくれるところの見当はあるが、貧血で大汗かきの私は、蕎麦屋の入り口に掛かっていたその札を見て、それ以上夕食のために街をうろつく気持ちはすっかりなくなってしまった。ホテルに戻って、別館一階のロビーに出店している幾つかの店の前を歩いて、結局オープンテラスのような造りのカレー屋に入った。客は私一人だった。細切れにしたピクルスが付け合せのカレーは、旨かった。母の納骨に、この先、そうは頻繁に来ることは無いかもしれない故郷に来て、一人でカレーの夕食とは情けないという気がしないでもなかったが、だからと言って、こちらの都合で勝手に突然古い友人に電話して、変に気を使わせるようなことはしたくない。これもまあいいかと思いながら部屋に帰って、ふとテーブルの上を見ると、チェックインしたときに手渡された幾つかの紙切れの中に、カレー屋の半額券が入っていた。母が、痴れたもんだと、どこかで笑っているような気がした。

(2)
鬱陶しいとか、不快なとかいう枕詞が必ず付くこの季節だが、快適とはいわないまでも、まんざらでもないという程度には梅雨が気に入っている。自分が生まれた季節であるということも、案外無関係ではないかもしれない。雨上がりに突然日差しが照りつけた時の息苦しさにはさすがに降参だが、しとしとと一日中降り続ける雨は、不思議に気持ちを落ち着かせてくれる。雨や雪には独特の匂いがある。その匂いが、どこか深い底の部分に眠っている記憶を呼び覚ますのか、少し動きを止めてみたくなる。
もう16年ほども前になるだろうか、山梨県の白州町というところで、現地で農業を営みながら舞踊家として世界的に活躍しているT.M氏を中心に、音楽、美術、ダンスなどジャンルをまたいで世界上からアーチストを招き、野外アートフェスティバルを開催したことがあった。招待された10名ほどの美術家の一人として私もそれに加わり、休耕田を利用して作品を現地制作したのだが、7月終盤の一週間ほどの制作期間中、連日雨が降り続いた。雨合羽を着てはいても、しょぼしょぼと降り続く雨の中を一日中野外で作業していると、どこからともなく服が濡れてくる。普段とは違う身体の動きをするために、呆けていたあちこちの筋肉が軋んで、作業を始めて2日・3日経ったころに疲れのピークがやってきた。
雨の下で作業していると、人は自然とうつむき加減になるものだ。うつむき加減の視界には、土と草とせいぜい視線の高さまでの風景しか見えてこない。まるで、ひたすら自分の足元を見よと、自然に強制されているような気になってくる。普段なら、つまらない冗談のひとつも言いながら作品作りを手伝ってくれる年下の友人たちも、どんどん口数が少なくなって、黙々と自分の受け持っていることを片付けていく。ふと気づくと、休耕田の周囲を囲んでいる農業用水の流れが、簡単な木製の仕切りを上げ下げすることで、農家の人の手によって何度も変えられている。ビニール合羽の下のTシャツに染み込んでくる雨と、作品の周囲をゴボゴボザーザーと一日中流れ続ける農業用水の音が、いつの間にか鼓膜や皮膚を通り越して体の中に入り込んでしまったように思え、いつまでもいつまでもそこで作り続けていられそうな、そんな錯覚に襲われた。決して快適ではなかったが、それは、嫌な経験ではなかった。
嘘か本当かは知らないが、母親の胎内からこの世界にポンと出た時の気温や湿度は、この世界の最初の情報として新生児の脳にインプットされ、それが大なり小なり一生影響していくのだという。夏に産まれたから暑さに強いとかいうような、そんな単純な話ではないだろうが、感性のどこかに何かの形で影響はあるかもしれない。人は、この世にデビュー後はかなり多様な環境を背負って成長するから、生まれ出た瞬間の環境など気にするほどのことでもない、というのが本当のところなのかもしれないが、それでも、人の記憶はそんなに底が浅いものではないと、私は思っていたい。ましてや、長い年月の間に積み重ねてきた経験や、個人の枠を跳び越した遺伝子レベルの記憶に、人は圧倒的に支配されているだろう。そうだとしたら、決定的でいまさら変えようが無いこと、もっと言えば、個人ではどうにもならないことを誰もが山のように抱えていることになる。だからこそ、変えられないこととわずかばかりの変えられることの狭間に何があるのか、それを見定めたいと思う。表現するというのは、そういうことかもしれない。難しいけど、面白い。

