もともとのきっかけは、湖の近くにあった四方(しかた)さんという老歯医者さんだった。虫歯で大きな穴の開いた右上の奥歯に詰め物をして治療中に、柔らかいゴム状の詰め物を交換するためにガスのトーチで細い器具の先端を暖め、それを詰め物に押し付けて取ろうとして、誤って先を滑らせて舌の根元を焼いた。その日に新たにゴムを詰めて以来、私は歯医者に行かなくなった。小学5年生ぐらいの頃だった。そんな仮の詰め物はどうせすぐに取れてしまう。それでも2年ぐらいは持ったかもしれないが、ある日ポロッと取れて、それ以来ずっと奥歯は穴が開いたままだった。食事のたびに食べ物が詰まり、いつの間にかそれをほじくるのがどこか快感にすらなっていたが、やがて穴の周囲の薄い歯の壁が割れ、いつの間にかわずかに先端だけ歯の一部が顔を出して、歯茎の中に根だけが残った。とりあえず、その頃は欠けた奥歯なんかよりも関心のあることがたくさんあって、歯のことなんか気にする暇がなかったというのは、もちろん言い訳である。
それが大学生の頃、面倒で帰省もしないでウダウダと一人過ごしていた正月の借家で、突然猛烈に痛み出した。その時分に休日診療の歯医者があったかどうか定かではないが、ともかく、しばらくいろいろごまかしていたもののどうにも痛みが納まる気配は無く、なぜかこれは自分で抜くしかないと思い立った。こんな論理的飛躍がなぜ起こったのか、今となっては知る由も無い。ここからは少々スプラッターになるので省略。ともかく抜いてしまった。痛みや腫れは数日で引いて、私はそれで一件落着ということにした。古墳時代の話ではなく、1970年代半ばのことである。それが今度は15年ほど前に再び痛み始め、残っていた歯の根を取り出すために、歯医者に叱られながらのちょっとした手術になった。それで無事に野蛮で未熟な歯の治療の後始末は済んだが、長年咬合の相手の無かった下の奥歯はカッパドキアの建物のように伸びていた。怒りっぽい歯医者は、こんなバカなやつのために面倒な治療をするのは真っ平だと思ったのか、入れ歯も作らずに治療の終わりを宣言した。
以来、私の歯は筋書き通りの崩壊プロセスをたどるように駄目になった。痛むから歯磨きがいい加減になり、いい加減な歯磨きをしているから歯周病が進行し、いっそのことグラ付いた歯は全部抜いて欲しいと思うのだが、歯医者としてはそんな自分勝手な借金棒引きみたいな頼みを聞くわけは無い。こう書くと、まるで歯のことはずっと悩みの種だったように聞こえるが、実際のところは特に酷く痛むのでなければ、気にしていなかった。その頃にも歯よりも気がかりなことがあったから、というのももちろん嘘である。歯医者は一目で私のいい加減さを見抜いたに違いない。それでも私は、患者に口を開けさせたまま、長い返事の必要な質問をする歯医者の前では、頭の悪い拗ね者の態度を変えなかった。歯茎が痩せて伸びてぐらぐらになった歯を、抜けるまで放っておいたりした。
人の身体は物質である。物質である以上、熱力学の第二法則から、エントロピーは増大する。一時的には発生から整然と発達に向かうように見えても、必ず混乱状態を招き、衰退への確実なプロセスをたどる。だからじたばたしても、いつかはおさらばとなることは確実だ。しかし、そのプロセスは不注意や怠慢によって、通常よりも著しく加速させることができる。いまさらその速度を遅くしようとしても、私の歯に関してはまったくの手遅れである。ましてや、できることなら、もう一度普通に固いものでも噛めるようになりたいと願うのは、虫が良すぎる。だからそんなことは望んでいない。せめて普通に喋れるようになれればそれでいい。悔い改めてももう遅いし、それは性に合わない。
ここに来て私は足繁く歯医者に通うようになってしまった。医者とは相性が悪いなどと言っている場合ではなくなってきたからである。長い間胃潰瘍に悩まされてきたうえに、おっちょこちょいなのか今までに6回も骨折していて、おまけに腰痛持ち、歯までこの始末だから、身体のどこにも痛いところがないというのは稀なことだ。多少の痛みは慣れっこなのだが、噛み合わせが限界まで悪くなってしまって、ここにきてとうとう喋りづらくなってきた。美術は、作品を作っている限りはひと言も喋る必要が無いが、作品をあいだに挟んで人とコミュニケーションを取ろうとすると、会話はかなり重要で、文字通り奥歯に物が挟まった状態で、しかもその収まりが悪いときては、どうにもならないからである。
私がもし医者だったら、私のような患者は嫌だろうと思う。健康に気遣いもせず、壊れてしまってから何とかしてくれなどと言う奴は、出来れば面倒見たくないはずだ。それは解るが、今回は何とか途中で放り出さないで欲しいというのが、哀れな五十男の願いである。

