この季節には珍しく、朝からしとしとと雨が降り続いている。冷たい冬の雨音は、雲の湧き出る出雲の国の出の私には、原風景のようなものだ。鼻腔の奥をつんと刺すようなとがった空気の、何となく埃臭いような匂いも悪くはない。5年程前まで、長く住んでいた藤沢の古い借家は、元は米問屋をやっていたという人が大正初期に建てたものだったが、数人が盛大にタバコを吸っても煙の籠ることがないという自然換気の家で、冬の間は部屋の中でも吐く息が白くなった。雨の日は、縁側の上の小屋根のトタン板をバラバラと叩く雨音や、庭の片隅に転がっている何かの缶に雨が当たる、高く弾くような音などが合わさって、なかなか賑やかだった。今の家は、雨漏りもしないし、二重ガラスのサッシではほとんど外の雨音も聞こえない。冷え性で寒がりの私がそういうと嘘っぽいが、家の中でも、雨は音付きのほうがいい。

山陰の冬は暗い。最低気温は意外にもそれほど低くはならなくて、零度を下回ることは稀にしかないが、早朝と日中の温度差が2-3度しかないという日が長く続く。日中に温度が上がらないということは、陽が差さないということだ。どんよりと鈍色の重い空が街に被さって、冷たい雨や雪が時折ちらつく。子供の頃に定期購読させてもらっていた、学習雑誌の12月初旬に届く正月号には、決まって晴れ着を着た女の子が晴天の下で羽根突きをしているような絵が載っていたが、あれは、クリスマスが必ず雪景色とセットになっているのと同じで、絶対嘘だと思っていた。小学校も上のほうの学年になった頃、初めてテレビが居間に置かれて、関東地方の正月の野外中継などを見るようになって、ようやく明るい冬があることに納得がいったが、不思議に羨ましいとは思わなかった。何だか、正月のバラエティー番組のように、明るすぎて屈託がなさ過ぎてちょっと恥ずかしいような気がした。

高校生の時、国語の教師で演劇部の顧問をしていた、小柄で色黒で、太い眉毛のくっきりとした顔立ちをしたMという先生がいた。この先生は、私が卒業した後、何か不祥事を起こして教師を辞めることになってしまったらしいのだが、一升瓶を持って私の家にきて、手酌で酒を飲みながら私を相手に芝居や文学の話をするような人だった。ある日、何かの話の折に突然、お前、真冬の鳥取砂丘に一人で行ってこい、と私に言った。何でそんなことを言われたのか、今ではもうさっぱり思い出せないのだが、ともかく冬休みに入ってすぐに私はちょっとワクワクしながら、鈍行列車に乗ってひとりで鳥取砂丘に行った。砂丘は一面の雪で、空はご多分に漏れず雲が重く垂れ込めていて、海のほうに歩いていくと浜の大きな起伏の向こうに、日本海が空と海との境目が定かでないまま広がっていて、白波が立っていた。ふと後ろを振り返ってみると、私が歩いてきたところだけ、くっきりと黒い足跡がヨタヨタとつながっていて、 目に入るあらゆるものが無彩色だということにそこでやっと気づいた。寒くて、耳が痛くて、風の音だけがゴーゴーと聞こえていた。後になって、M先生とその日のことについて話した記憶はない。

長じて、私は絵を学ぶようになった。当時は、私の住んでいた街には美術館はなかったし、書店といっても、店舗の半分が文房具店になっている程度のものしかなく、画集を手にする機会も絵を見る機会もほとんどなかったから、美術大学への進学準備のために美術予備校に通うようになってから、私は初めていろいろな画家の存在や作品を知るようになった。予備校では、毎日石膏デッサンばかり描いていたから、自然に人の作品を目にするときもどこか構えて見るところがあって、構図や絵の具の使い方や形のバランスなどばかりに目がいって、要するに、何か参考にできないかという下心を持って見ていることが多かった。仲間内でブームになっている画家もいたが、そういう画家の作品について話すときは、好きとか嫌いとかいう類の言葉は、趣味性が強く聞こえるのでタブーのようになっていた。そんなとき、偶然ヴラマンクの風景画に出合った。暗い色調と荒々しい筆致で描かれたその風景は、私には実在の風景よりもずっと真実味を帯びて見えた。その頃身近にいた誰にもそれは理解してもらえないだろうと、なぜか確信を持った私は、その絵について友人たちとは一度も話さなかった。

随分前のことだが、第二次大戦の独ソ戦を舞台にした、確か、「愛する時と死する時」というような題名の戦争映画を、何となく暇つぶしに見たことがある。ドイツ軍が破竹の勢いでモスクワを目前とするところまで攻め進み、厳冬期に入ってソ連軍の反撃と悪天候に勝てず撤退をはじめ、追撃と餓死や凍死の危険に苛まれながら、ようやく前年に進撃を開始した地点にたどり着くまでのいきさつと、ひとりのドイツ軍兵士の恋人とのロマンスを描いた平凡な映画だ。ただ、ひとつだけいまだに忘れることができないシーンがあった。パルチザンの執拗な攻撃に追われて、靴も失い、死んだ仲間の厚手の毛布を凍傷の足に縄で括りつけて、ドイツ兵が、やっと厳冬のロシアからヨーロッパにたどり着いた場面で、春先の融け始めた雪の中からまるで一輪の花のように、一本の手が空に向かって突き出されている。それを見て思わず立ち止まった兵士が、春だなと呟く。