毎日酒を飲む。いわゆる睡眠障害というのだろうかそれとも軽い鬱の気でもあるのか、それはどうでもいいが、ともかく素面でいるとなかなか寝付けない上に、寝ても数時間で目が覚めてしまいその後眠れなくなってしまう。だから決まって寝る前に一定の量酒を飲むが、少しずつ眠気に襲われる時間が遅くなってきているのは、よろしくない。時には、眠気を待っているうちについ呑みすぎてしまい、二日酔いということもあるから、そろそろ何か他の手を考えなくてはならないかなと思っている。外で飲むことはほとんどない。いろいろ理由はあるが、酔っても陽気になる訳でもないし陰気になる訳でもないし、ただ眠くなるだけだから、眠気をこらえて家までたどり着くのが面倒臭いからというのも、無視できない理由のひとつである。人によっては、自分が飲めない体質でも、酒の席の雰囲気は好きだという人もいるらしいが、口数の多くない気の合う少数の友人とリラックスして飲むのはいいが、それ以外は酒の席のバカ話も好きではない。見た目がごついからか、酒飲みではないかと思われることが少なくないが、今でこそそれなりに飲めるようになったものの、元々はまったく酒を受け付けない体質だった。

大学の頃親しくしていた友人はかなりの酒豪だったが、酔っ払ってもちゃんと節度が保てる奴だったので付き合うのに苦労したことはなかった。その友人が住んでいたのは、安針塚という三浦半島の私鉄の駅の近くから、小高い山の上に石段を登って行く二世帯だけの小さなアパートで、窓から山の間に東京湾を見ることが出来た。初めてアメリカの原子力空母エンタープライズが佐世保に入港するという日に、もしかしたらアパートから見えるかもしれないとその友人が言うので、私はビッグサイズの安いウィスキーを手土産にそのアパートに行った。原子力空母が日本の港に入るということに当時は大きな反対運動が起こっていて、あちこちで大規模なデモがあり、デモ隊と機動隊が激しくぶつかっていた。私自身も、一方で非核三原則(核を持たない、作らない、持ち込ませない)などときれいごとを言いながら、こともあろうに核装備が常識の原子力空母を、アメリカの要求するまま受け入れる日本政府の嘘八百にうんざりしていたが、デモに参加する気にはなれなかった。最早、そんなことで何かが変わるとは思えなくなっていた。空母は、山の間を橋渡しをするようにはっきりと見えた。そのあまりの大きさに圧倒されてから、友人は私が持参したウィスキーを湯のみ茶碗に入れて飲み始めた。あくる日の朝、私がひどい頭痛に耐えながらそのアパートを出るまで友人は顔色も変えず延々と飲み続けていた。2人ともあまり喋ることはなく、私はウィスキーをちょっと舐めてはうたた寝し、目覚めてしばらく話しながらまたうたた寝しを、一晩中繰り返していた。

甘党・辛党という分類があって、酒好きでなければ甘い物好きで、逆に酒飲みは甘いものは好まないということらしいが、これほど嘘っぽい話もない。酒好きで甘いものも好きという人は掃いて捨てるほどいるし、甘いものも好まないが酒も飲めないという人だってざらにいる。ちなみに、酒も飲まないタバコも吸わないというのが真面目さの枕詞として使われるが、真面目ということはそういうことではない。寝食忘れて何かに没頭するなどともいう。多少寝たり食ったりが不定期になるくらいのことはあるとしても、忘れるはずないじゃないかそんなもの。日本語特有のこういう単なる言い回しに過ぎないものが、いつの間にか本当にそうだと思われてしまうところが、言葉の怖いところである。最近も相変わらず世の中はメディアの喜ぶような事件が続いて、テレビに映るレポーターやらコメンテータと呼ばれるおじさん・おばさんたちの、深刻ぶった顔とは裏腹のはしゃぎようにはうんざりだが、彼らは、真顔でそういう決め付け方をする。犯人は40歳ぐらいまで定職に付かず、アルバイト程度の仕事しかしていなかったため、平日に自宅にいるということも結構あったというんですねぇ。自宅に人が尋ねてくるということもあまりなかったようで、孤独だったんでしょうか。妻と娘二人の四人家族ですが、家族全員がゆったりと座れるようなミニバン型の車は嫌いだといって、自分は二人乗りのスポーツカーやオートバイを乗り回していたといいますから、派手好きで、自分さえよければといったタイプ、という一面もあったようです。近所でも、背広姿を見かけたという人はほとんどおらず、いつもラフな恰好をしていたといいますから、ちょっとだらしないところのある性格だったのかも知れません・・。これは私のことである。

一時期私は、4メートル近い板を荒く手で削り、原色に近い色を何度も塗り重ねて、最終的には、黒に近い無彩色でそれらの色彩を下の層に封印してしまう、という方法で作品を作っていたことがある。そういう木を何十本か作って、ギャラリーや美術館の空間に張り巡らせていくのだが、何度もそういう方法で作品を発表しているうちに、最終的に下の層に施した色彩を封印するのは、むしろ白に近い無彩色のほうがより空虚なものが作れるのではないかと思うようになった。新作を発表したある日、ギャラリーに毎回私の作品を見に来る著名な批評家がやってきてこう言った。「何かいいことでもあったんですか。色彩が明るくなりましたねぇ。今までのはちょっと陰湿な感じもしたけど、これはいいねぇ。」アホか、人の作品の批評で飯食ってる奴がそんな詰まらん感想口にするなと思ったが、黙殺した。