また病気が出た。自慢じゃないが、貧血、腰痛、歯周病、腎臓結石、めまいに不眠と密かに隠し持っている病は多い。どうも年寄りは、病気持ちを自慢したがる妙な傾向があるが、最近になって発病したのはバイク病である。後狂いは怖いから、若い頃に適当に狂っておいたほうがいいという話もある。確かに謹厳実直・純真無垢も度が過ぎれば、ちょっとした細菌に感染しただけでイチコロということもあるかもしれないが、適度な病歴があって免疫があれば後は大丈夫とは限らない。病の常で、症状が治まったからといって安心しているといつの間にか慢性化していて、忘れた頃にまたぶり返すということもある。今回は、どうやらそれらしい。30代の初めの頃に、一度かなり重い病状になったことがある。その頃は、東京の目白にある大規模な美術予備校の講師のアルバイトをしていて、既に家庭を持って子供もいたが、同世代の男と比べればかなりの低収入だったから、アルバイト先に通う交通費を浮かせるというのを口実にして、安い中古のバイクを手に入れた。妻がピアノ教師をして家計を支えてくれていたものの、月末には銀行口座が空になるということも度々あって、しかも一度に数十万円も使って作品を作り、何度も個展を開くということまでやっていたから、家計は火の車だ。交通費の節約というのは、口実としてはやや根拠が薄弱な気もするが、妻はとりあえず騙された振りをしてくれた。アルバイト先までは、途中ふたつの自動車専用道路で100キロ程度の速度で走っても、都内の一般道は混んでいるから片道1時間半はかかったと思う。それなのに、雨が降ろうと雪が降ろうと、それこそ道路に雪が積もっていてもバイクで通っていた。その上、休みの日にはまたまたバイクにまたがって画廊回りに出かけるのだから、もはや重症といってもいい。ここまで書いて読み返してみると、我ながらかなりどうしようもない男だと思う。

      

その状態が10年あまり続いて、病が少しずつ回復に向かったのは、何だかややこしい話だが病気のせいである。胃潰瘍に罹って何度か吐血を繰り返しているうちに、貧血の症状がひどくなってきて、ちょっと冷えるとバイクのレバーを操作するのが辛くなってきた。それをきっかけにだんだん疎遠になって、一時は完全に手放して手元には自分のバイクは一台もないということが続いていた。ここ数年は、舗装道路を走るのも悪路を走るのも、どちらも何となく中途半端な気がする中型バイクをひとつ持っていたが、もう以前のように、走ること自体が楽しいとは感じなくなっていた。夏の暑さと冬の寒さに逆らってまで乗る気は毛頭起きないし、雨の日も嫌だ。このまま全治してしまえば、そのうち、ワシも若い頃はちょいと鳴らしたもんじゃったなぁなどと、お茶でも飲みながら老妻と語り合う日も遠くはなかったはずだったのだが、赤いチャンチャンコ目前にして突然の再発である。手に入れたのは20数年前の型で、外見はノーマルだがエンジンが540ccに大きくしてある。キャブレターという、エンジンの回転に応じて、常に適正なガソリンと空気の混合気を送る部品のセッティングがイマイチなのか、気温の低さといじったエンジンのアタリがついていないのが理由なのか、最近のコンピューター制御の車のように、何のストレスもなくすいすいと走るわけではない。ちゃんとご機嫌を取りながら丁寧に扱わないと、すぐヘソを曲げる。とは言うものの、ご機嫌を伺ってばかりだと何時まで経っても機械に振り回されっぱなしということになり、それは逆に危険である。状況に敏感に反応しながら、思い切って操作しなければならないという厄介な代物だ。

      

初めて手にした素材を取り扱う時は、誰でもしばらくは戸惑う。かなり手馴れた段階でも、それを高度に使いこなそうとすると、思いがけない問題にぶつかって思案投げ首ということもある。作品を作るというのは、大抵そのどちらかに似た経験を重ねていくということだが、特に後者の状況になった時は、力任せにねじ伏せて問題を乗り越えようとすると、間違いなく大きなしっぺ返しを食らう。身体を使って何かする場合はなんでもそうだが、知識を得て、それに意識的に関わるようになり、常識になるまで繰り返し体験を重ねなければならない。ほとんど無意識に状況の変化に対応できるようになって初めてスタート地点で、そこから一層神経を研ぎ澄ましてクオリティーをあげていかなくてはならない。デザインの仕事や職人仕事であれば、何よりも大切なのはアベレージの高さをキープすることであろう。アートでは、完璧を目指し続けることか。いずれにしても、それは力技に頼っている間には絶対に不可能なことである。むしろ聞き耳を立て、変化を全身で感じ取っていくことだけが唯一の方法だと思う。人は、聞きたいことしか聞かないし、見たいものしか見ていないのだから、もし聞くべことや見るべきものを逃してしまったとしたら、その人はそれまでの器だということになる。鈍感力などといっている場合ではない。処世術に長けていても、ものは作れない。力任せのバイク乗りは、死ぬのである。恐れすぎても危ないし、大胆すぎるのも危ないという乗り物に、この年になってまたまたどうして病み付きになるのか、我ながら不思議だとも思うが、ナニ、答えは案外簡単なのかもしれない。安全が保障されてやることなど、面白くもなんともないからだ。そんな風にうそぶきつつ、バイクで出かけるときは、必ず下着を着替えて万一の事故を意識している私は、やはり小心者である。