3月決算の会社はすべてそうだろうが、学校に関わっていると、3月という月は一年の締め括りでことさら忙しい。ただでさえ落ち着かぬというのに、今年は大掛かりなアトリエ移転という行事が重なった。何箇所かに分散していた生徒用のアトリエを、一棟のビルに集約してしまおうというのだから、移動させる備品も恐るべき量である。中には、扱いにかなりデリケートに気を使わなければならないものもあるから、というのは取り敢えずの言い訳で、業者任せにしてそんな大移動ができるほど裕福ではないから、教職員・生徒総出の人海戦術である。ただし、自分たちが使ってきたアトリエや、これから自分たちが使うアトリエを、自分たちで片付けて自分たちで整備するというのは、それほど悪いことじゃないぞということは、幾分本気で考えていることではある。もちろん私も老骨に鞭打って参加するのだが、さすがに貧血・腰痛の持ち主では、力仕事は足手まといになると周囲に諌められ、昔取った杵柄ということでトラックの運転手に徹することになった。化粧品会社のヘアデザイナーから閉店後のデパートの床掃除まで、いちいち数えたことはないが、数十種類はある学生時代からのアルバイト経験の中で、もっとも似合うと自他共に評価が一致するのがトラック運転手である。久し振りの高い運転席と大きなハンドル、どこでクラッチを繋いでも平気じゃないかと思えるほどの低速トルクの強さは、やはり快感だった。トラックの運転がこの世で二番目に好きなことだったら、運転手になってもよかったのだが、五番目ぐらいに好きなことなので仕事には選ばなかった。選んでいたら、今頃は怪我の後遺症に悩んでいるかあの世に行っているかもしれない。結構無茶な運転を昔はしていたから。

2日に分けた大移動も何とか大きなトラブルもなく終わって、後は借りていたスペースの事務的な清算手続きさえ終わればひと安心と思っていたら、面倒がその後にやってきた。美術学校に賃貸していたのだから、普通のオフィスではありえない類の多少の汚れは避けられないし、それは承知で貸していたはずだが、家主は、まずそのことに散々難癖をつけたと思ったら、そうした汚れや破損部分の修復だけではなく、ほとんどリニューアルに近いことまで要求してきた。貸しビルを経営して、店子が出て行くたびにあれこれと文句をつけて、現状復帰の名目で、ごく普通の経年劣化の部分まで店子の負担でリニューアルさせるというのが、その家主のやり方らしい。どうりで借りた時に、あそこのオーナーはなかなかきつい人だから大変ですね、という話が聞こえてきたはずだと思ったが、今頃気づいてもあとの祭りだ。先方の交渉担当者は家主の息子だが、これが文字通り子供の使いという奴で、何も判断しないし決定できない。筋の通ることなら、多少の無理はしても受け入れなくてはならないことはあるものだが、筋の通らないことを、しかも直接顔も出さずに延々と言い続ける当の家主は、私よりも10歳は年上と思われる、人間としてはかなりの大先輩である。やり取りを重ねていくうちに、何だかそのこと自体がだんだん恥ずかしくなってくる。若い頃はそんな風に感じたことはなかったが、年を取ってくると、自分と同世代や自分より上の世代の人のみっともない行状を見聞きすると、まるで自分がやったことのように居心地の悪い気分に襲われるようになった。下らないことで泥仕合するのは嫌だから適当なところで手を打ったが、向こうはしてやったりと思っているかもしれない。横紙破りは、何とか蒸留水を年間何百万円分も飲んでいるという、卑屈な笑みがよく似合う、あの政治家だけではないようだ。

「後妻打ち」という風習が、かつての日本にあったことを最近知った。室町時代から江戸初期に始まったという説と、平安中期以前には発生していたという説があるようで、宇和成打ちとも騒動打ちとも呼んだらしい。三行半で離縁させられた先妻が、離縁後早々に迎えられた後妻の所に一族の女だけで押し寄せ、鍋、釜、障子などを竹刀で打ち壊すという。面白いのは、この後妻打ちに直接参加するのは女だけということで、先妻はまず経験豊かな親類の女と段取りを相談し、総勢20人から100人の女を集める。しかるのちに、男が使者として後妻のところへ行き、身に覚えがあろうから何月何日これこれの道具(武器、主に竹刀)を持って持参すると口上を述べ、後妻側も代理の男がそれに応じ、お待ちしておりますと返事する。当日は、総勢が台所に乱入し竹刀で散々破壊し、頃合を見計らって仲人と先妻・後妻それぞれの関係者が一人ずつ登場し、懇々となだめて引き取らせる。成り行きに任せているだけでは、下手をすると凄惨な結果を招きかねないトラブルを、こうした演劇的な方法でガス抜きしてしまうというのはなかなか賢い方法かもしれない。亭主の色恋沙汰で別れる羽目になった元妻が、友人や親類縁者の女たちと一緒に、若い女と再婚した元のダンナのマンションに押しかけて、洒落たダイニングキッチンを散々打ち壊すという場面を妄想していたら、何だか妙に可笑しくなってきた。この伝で、建物の賃貸契約の精算トラブルのあった時は、面汚しとでも称して、店子が家主に宣告し朗々と口上を読み上げた後、件の建物の入り口に脱糞するという風習でもあれば面白い。そんな度胸と茶目っ気が私にあるかどうか、自信はないが。