普段は、休日のまとまった時間に自室で作品を作ることが多いが、それほど段取りが悪くない時でも、どうしても絵の具の乾き待ちの時間が出来てしまう。作品の進行具合によっては、絵の具が乾いていなくても、委細かまわず手を出せることもあるが、場合によっては絶対に触れない方がいい時もある。そんなタイミングの時に作品の近くにいて、何度も何度も描きかけの作品に目を向けていると、止せばいいのについ手を入れてしまい、結局、草履履き際で仕損じるという羽目になったことは一度や二度ではない。時間的に押している時ほどそうなる危険性は大きいので、そんな時は、自室から出て夕食の仕度でもするか、買い物に出かけるか、そうでなければ本を読んだりテレビでも眺めたりして時間稼ぎするしかない。我が家はケーブルテレビと契約しているので、その局が契約している所謂キー局以外のチャンネルをいくつか見ることができる。たいていは、古い映画の専門チャンネルかドキュメンタリーのチャンネルのどちらかを眺めているが、たまたまそのドキュメンタリーチャンネルで、オーストラリア南東のタスマニア島の自然保護の様子を紹介する番組を流していた。タスマニアンデビルという素敵な名前の、動物の死肉を餌とする、この島特有の種である不細工な肉食獣のことは知っていたが、1800年代中盤には、既にかなり積極的な自然保護の対策を講じていたということまでは知らなかった。南半球の大陸や島は、1億数千万年前まではゴンドワナ大陸というひとつの大陸だった。それが地殻変動とともに分裂して、南極や南アメリカ、アフリカ、オーストラリアやニュージーランドなどになったという。その証拠となる植物群や淡水に生息する蝦などが、手厚い自然保護のために今も数多く残っているそうである。
そんな教訓と啓蒙に満ちた番組を眺めながら、毎度のことながら、今回も私の妄想はあらぬ方向に走っていった。タスマニア島には、タスマニアンデビルのほかにも、この島固有の比較的マイナーな動・植物が棲息している。番組に登場する、それらの生き物の名前がことごとく面白い。というか、ど真ん中の直球ばかりの命名である。キミミダレミツスイ(黄耳垂れ蜜吸い?)、ハナナガネズミカンガルー(鼻長鼠カンガルー?)、アカビタイインコ(赤額インコ?)、etc・・・。名は体を表わすというが、このことわざの含蓄を無視して考えれば、これらの名前に関してはまさに言いえて妙である。以前から、耳慣れない植物や野鳥などに付けられている、いわゆる和名のユニークさにはかなりくすぐられるものがあったが、おそらく何十万、何百万とある生物に、いちいち凝った名前を付けているわけにもいかないというのが、外見的特徴を並べただけの名前になった最大の理由だろう。そう言えば、この伝では、日本の伝統工芸の作品の名前にも似たような傾向がある。牡丹唐草螺鈿外箱(ぼたんからくさらでんそとばこ)とか、黒紅片身替鉄線扇面模様縫箔(くろべにかたみがわりてっせんおおぎめんもようほうはく)、緑釉白地黒掻落動物文壺(ろくゆうしろじくろかきおとしどうぶつもんつぼ)などなど、名前だけで大体の特徴がわかる仕組みになっている。ただ、こちらのほうは動物や植物の和名に比べて、即物的というにはいささか作為の技巧に走りすぎている嫌いがないでもなく、その分インパクトに欠ける。一方で、学者が細かく分類するために付けた和名に比べて、古くからよく知られていて既に普通の人々によって名付けられていた名前の中には、また別な興をそそるものもある。馬酔木、朝顔、タツノオトシゴ、ハリセンボン。植物ではイヌノフグリなどという大胆なものもある。
父が付けた名前のおかげで、私はこれまで何度か面白い経験をしてきた。何でこんな名前を付けたのかと、父が生きていた頃に聞いたことがあるが、どうやら自分の所業を棚に上げて、せめて息子ぐらいは硬い人間になって欲しいと思ったというわけではないらしい。大学に入って間もない頃に、つまらないことで大学の中の食堂で助手の人と喧嘩になった。止めに入った別の助手に、君は新入生だね、名前はなんていうの?と聞かれて名乗ったら、君か、あのシュウシンっていうのは。名前負けだね、と言われた。そんなこと言われなくてもとっくに判っていたが、そいつはミノルというシンプルな名前だったので、お前こそと言い返せなかったのが残念だった。代わりに、シュウシンじゃないオサミだ!とアホなことを口走ってしまった。父に植物学の素養でもあれば、もっと簡単な和名を私に付けてくれたのではないだろうか、鬼瓦とか。大阪に海遊館という大きな水族館がある。8階建てのビル全体が水族館になっていて、エレベーターで8階に上がってから、螺旋状のスロープを降りながらさまざまな企画の水槽を観ていくのだが、圧巻は螺旋の中心部にある太平洋をシミュレーションした3階分ぶち抜きの大水槽で、水圧の違いによってさまざまな魚が棲み分けているのを観ることが出来る。この水族館のマスコットは、巨大なジンベイザメである。水族館とその研究施設に、館の名前からひと文字ずつを取った海クンと遊チャンというオスとメスが一匹ずついて、偶然にもその二匹の名前はふたりの我が娘の名前と同じ字だ。幸いにも、ふたりとも姿かたちはあまりジンベイザメとは似ていない。

