土曜日の昼間だというのに、駅前ロータリーにほとんど人影がない。10階建て規模のビルが周りにびっしりと立ち並び、片側三車線の直線道路がロータリーの横を貫いているが、信号で停められても、ひとつの車線にせいぜい数台の車が繋がる程度である。母の一周忌で久し振りに足を運んだ故郷は、噂に違わず過疎化が一段と進行している様子だった。家族揃ってその地へ出向くことは、この先そうそうあることではあるまいから、法事の次の日の飛行機の最終便の出発時刻まで、ついでにあちこち足を伸ばしてみようということになって、空港に到着した足で予約しておいたレンタカーを借りた。ターミナルビルのすぐ隣の建物にあるレンタカーのオフィスで手続きを済ますと、係りの人が車を返す時の手順の説明をする。空港近くの適当なスタンドでガソリンを満タンにして、空港の駐車場はすべて駐車料金が無料だから、空いているところに停めてくれていい。その際電話を一本入れてくれれば、キーはそのままにしてドアをロックしないで、そのまま搭乗手続きを始めて構わないという。説明を聞きながら、一瞬私は、この人は一体何を喋っているのだろうと耳を疑った。予約の段階で、車の借手の氏素性は明らかになっているとはいえ、世の中にはいろんな人がいるから、どこかに車を乗り捨てていってしまう人もいないとも限らないし、第一、そのレンタカー会社がそういうやり方をしていることは秘密でもなんでもないだろうから、どこかの悪い奴が、空港の駐車場で車が帰ってくるのを待ち構えていて、客が立ち去るのを見極めて乗り込みエンジンをかければ、簡単に乗り逃げされてしまうだろうに。

急いでホテルにチェックインする必要もなく、日本海の海岸沿いにのんびりと走ってみようということになった。そうこうしているうちに陽も傾いてきて、そろそろホテルまで戻ろうかという気になり始めた頃、車のナビに原子力発電所の文字が現れた。なるほど、公共事業は道路工事だけではなかったかと思うと、野次馬根性がむくむくと頭を上げてきた。風光明媚なだけの海岸線より、よほどインパクトのある風景が広がっているはずである。ナビの教えるとおりに、原発の方向に向けてハンドルを切る。途中、道路の案内板に原発の見学場所は直進せよと書いてあった気がしたが、迷うことなくより大きく書いてあったほうに車を進めていく。山中をどこにも分岐するところがない見事な直線道路が続く。やがて道路はそのままトンネルに繋がり、そのトンネルを、反対車線にも前後にもまったく車のいない状態で走っていると、ぽつんと出口の明かりが見えてきた。出口の先は、ちょうど高速道路のインターチェンジの料金所に似たつくりになっていて、大掛かりなデモのときに使われるような頑丈な車止めが幾つも道路を遮断し、その先に遮断機が置いてある。あっという間に、10人足らずの完全武装の機動隊員にワラワラと車を取り囲まれた。専用道路に入ってからの一連のことが、まるで安物のアクションドラマのように思えてきた。赤い小旗で袋小路に誘導されて、どちらに行かれるんですかと聞かれる。すみません、道を間違えましたと言ったら、それじゃあ指示に従ってここでUターンして下さいといわれ、車止めを移動させる間、しかめっ面の機動隊に周囲をしっかりと取り囲まれたまま待たされた。テロ対策なのだろうが、本気のテロリストだったら、一度確認してしっかり準備すればこんなもの簡単に突破してしまうぞ、などと余計なことを考えてしまった。ようやくホテルの駐車場に車を停めて、荷物を下ろしながらふと後部座席のドアガラスを見ると、ガラスの内側に小さな紙が張ってあって、そこにはこう書かれていた。この車が長時間放置されているのを見つけた方は、御面倒ですが下記のところまで御連絡ください。

午前中に始まった寺での法事は昼前には一通り終わって、その後本堂脇の住職一家の住む建物の、庭に面した客間のようなところで十人余りの参列者で仕出し弁当を食べ、お開きとなった。ホテルに戻って着替え、その日は隣の県との境近くの古い神社に立ち寄って、夕食前に湖に出てみようということになった。街の中心部付近では、さすがに人の数も車の数もそこそこ多いが、街からほんの30分も外に出るとまたまた人影がなくなる。郊外では、時折行き交う車の70%ぐらいは軽自動車で、テレビのCMで見かけるような車はほとんど見ない。道路は、幹線以外はほとんど片側一車線だがかなりきちんとメンテナンスされている。私の印象では、鎌倉市内よりも数段上である。そういえば、その県出身の政治家には、昔から政権政党の黒幕というか実力者というか、その手の人が多い。ふるさと創生とか銘打って全国の自治体に一億円ずつばら撒いたバブリーな首相もそうだし、その後釜の参議院のドンと呼ばれる政治家も同じ地盤だ。新潟の誰かさんほどは、地元に露骨な利益誘導をやったとは聞かないが、それでも、大きな製造業がなく税収の少ないはずのこの県でも、地元の土建屋さんへの公共事業の発注などには、頑張っていろいろ手を回してやっているのだろう。生活道路の補修程度で足らなければ、日本で唯一県庁所在地にあると言われる原発を持って来るというわけだ。

あくる日は、帰りの飛行機の出る時間まで少し足を伸ばして、16世紀から300年ちょっと銀の産出を続けたという石見銀山へ行く。銀産出のピーク時、17世紀前半には年間に38tの銀がここで精錬され運び出された。この時期の日本は世界屈指の銀輸出国でもあり、世界中に流通していた銀の約3分の1が日本で産出され、そのかなりの部分をこの銀山が担っていたという。子供の頃の微かな記憶に、崖に彫られた岩屋の中に並ぶ五百羅漢の異形が残っているが、それはそのまま残っていた。江戸時代かとも思えるような、川筋に沿った車が一台やっと通れるような路地を挟んだ家並みも健在だったが、最近、世界遺産に指定されるためのアプローチが頓挫してもなお、この場所を観光地として売り出す千載一遇のチャンスと見た地元と自治体のテンションは上がっていて、銀山裏手の山を削って大駐車場を造り、そこからシャトルバスを何分かおきに走らせて、幾つかのポイントで団体客を下ろしていた。江戸時代の銀山は、30歳まで生きると長寿の祝いとしたともいわれる。何万もの人の汗と血が染み込んでいるこの土地を、小銭稼ぎでひっくり返すなよと言いたくなったが、都会に出て行った奴が何をいうかと言われれば、返す言葉がない。