自宅に、数個の木箱に入った古い雛人形のセットがある。いつの時代のものか定かではないが、最近目にするものと違い細面でひとりひとりの表情が微妙に異なる。元は生家にあったもので、他に女の子の孫がいなかった父が、我が家に最初の娘が生まれた、今から30年ほど前に送ってきたものだ。後に生家は火災で全焼してしまったから、これらの雛人形はかろうじて難を逃れたということになった。私がものごころついたときにはすでに毎年雛祭りの頃に飾られていて、その頃既にかなり古びていたから相当昔のものだろうと思う。祖父は昭和初期に公共放送の監査役をしていて、仕事で年中全国を回っていたらしく、出張の度に各地で小さな人形やミニチュアの什器などを買い求めてきては、コレクションに加えていた。それらも毎年雛壇の一番下の壇に並べられていて、江戸の頃の赤ん坊の姿をした陶器の像や桃太郎などの像、昔の婚礼の持参品のミニチュアなども並ぶ、不思議な雛壇になっていた。以前は何度か箱から出して並べたこともあったが、最近の住宅のレイアウトではなかなか雛壇を並べる場所もなく、ここ十年以上は箱に入ったままクローゼットの棚の上に押し込められたままになっている。そんな扱いをするから二人の娘がいつまでも嫁に行かないのかどうか、それはどうでもいいが、作品作りがひと段落して、散らかり放題散らかっていた自室を久し振りに掃除した時、ふと気になって棚から箱を降ろして中を覗いてみた。ひとつひとつ防虫剤を入れて和紙で包んである人形の中で、私が最も好きな、ほろ酔い加減でうっすらと笑みを浮かべている年老いた下足番の人形を取り出すと、薄い絹で出来ている衣装のところどころにポツポツと虫食いの痕があった。

生家にはトイレがふたつあった。縁側の突き当たりに庭にせり出すようにあったのが客用のトイレで上(かみ)便所と呼ばれていて、浴室の隣にもっぱら家人専用の下(しも)便所と呼ばれているのがあった。上便所は、中に手洗い場と小用のスペースがあり、開き戸で仕切られた奥にもうひとつのスペースがあった。そこからは、しゃがむと月型に泥壁を刳りぬいた窓越しに庭が眺められるようになっていたから、昔の人は随分風流なことを考えていたものである。そのトイレの天井が凝っていて、燻した篠を張った真ん中に奇妙な模様の彫りこみが施された板が張ってあった。祖母に聞くと、それは大工がここだけは自分の思うように作らせくれと言って作ったもので、わざわざ虫に食わせた板を削ってそれを燻して嵌めたものらしい。完成したとき大工は、自分の仕事によほど得心したらしく、ここで一人で弁当を食べさせてくれと言ったという。その話を聞いたせいかどうかは知らないが、父の手伝いで大工仕事の真似事をしていて、板を削っていくうちに偶然虫食いの痕が出てきたりすると、その形の面白さについ見とれてしまったものだ。長じて美術に関わるようになって、たまたま手にしたH.ヤンセンというドイツの画家の画集に、素描の紙の端にわざわざ虫食いのような形に手を加えたものがあるのを見つけ、妙に嬉しくなったことがある。完全性を損なう虫食いが、逆に完成に寄与するというのは皮肉なことだが、案外表現というのはそんなものなのかもしれない。

私は、ほとんどの果物とお菓子類、トヨタの車、人付き合い、ドラマ、日本酒、政治家、牛丼、パーティー、大型スクーター、クリスマスの電飾、噂話、フランス料理が嫌いだ。昔はそれほど嫌じゃなかったのに、一度嫌だと自覚すると、後になってから好きになることはほとんどないし、ある時突然何かを嫌いになるということは少なくないから、年とともに嫌いなものばかりがどんどん増えてきて、この分では相当寂しい老後を送ることになりそうで、なんだか楽しみである。性格の悪さからだろうが、大抵の人が好きだというものは何となく敬遠してしまう癖があって、おかげで若い頃から今までずっと、日常的に友人たちと何かを一緒に楽しむという経験があまりない。ファッションはもとよりすべてのジャンルのブランド製品に特別な価値など感じるわけがなく、たまに人様から頂いても豚に真珠。なんでもない楽しみでさえそうなのだから、ましてや世間のものごとの、定評や権威があるといわれているものは、それだけでお近づきになりたくないと思ってしまう。美術の世界では、興味のない人と調子を合わせる必要などないだろうと思っていたが、そうではないことは大学に入学した次の日にわかった。だから、大学院を出てそのあと大学に残る話が出てきた時は、よくわからない言い訳を並べて退散してプータローになってしまった。そのうちいつの間にか時間が経ってふと冷静に我が身を見つめてみると、バランス良く年を取ったとはお世辞にも言えないことになっていた。虫食いだらけの人間になってしまったが、こういう虫食いはお世辞にも美しいとは言えない。

雛人形の虫食いを見つけて、それからいつもの調子であらぬ方向に思いを巡らせていたら、韓国軍が演習でヘビを生で食べ体調を壊したというおかしなニュースに出くわした。いわゆるグリーンベレーと称する、ゲリラ戦をもっぱらにする精鋭の演習なのだろう。深い森の中に潜入して何日も姿を隠して敵を攻撃するのに、十分な食料があるわけもなく、不用意に煮炊きをすれば自分の所在を敵に知られてしまうから、口にできるものはなんでも口にするということか。随分ハードな話だと思ってインターネットでそのニュースを読んでいたら、案の定関連項目としてゲテモノ食いのページが傍にあった。開いてみたら、虫食い同好会の人のブログにあたって、実に沢山の昆虫から幼虫までの虫料理のレシピが並んでいた。味付けの仕方から食感や食後の感想までが、微にいり細をうがって書かれていて、御丁寧に盛り付けの写真まで掲載してある。怖いものみたさで読み進めていくと、この人は少なくとも露悪的な目的でこういうブログを書いているわけではなく、本当に虫を食べるのが好きなのだということがわかってくる。確かに、蜘蛛も蟹も似たようなものだし、衛生管理さえすれば、イクラが食べられるのなら蛆だって食えると言われればそうかもしれない。蝸牛を食べたり蟻のペーストを食べたりする国もある。この虫食いをどう思うかといわれても、私は完全に思考停止である。人間は、奥が深い。