今年は、偶然誕生日の日にドローイングの展覧会を開いていた。この年になって誕生日もクソもないが、作品の制作が山場に差し掛かる頃に気候がいいので、その時期の展覧会は作り手にとっては案外都合がいい。梅雨時だから、観に来る人にはちょっと迷惑な話かもしれないが。来年予定されている画廊での展覧会も、偶然、会期中に誕生日が来る。そうか、還暦だから赤い作品作るのは意味ありげでまずいなぁなどと馬鹿な話をしていたら、まだ来年は還暦じゃないですよと職場のものに指摘されてしまった。なんだか自分の年も判然としなくなってきたらしく、憧れのボケジジィになるまであとひと息である。父は、定年の前年に仕事を辞めた。その頃には珍しく父は一人っ子だったから、そろそろ衰えが目立ってきた祖父と一緒にいる時間を持ちたいというのがその理由だった。祖父はその4年後に死んだから、父はたぶん自分の決めたことに満足していただろうと思う。その後父は85歳まで生きた。退職してから30年近くこれといって仕事らしい仕事をしないでいたことになる。本職の大工が顔負けするほど、家の中のあちこちに手を入れてしょっちゅう動き回っていて、退屈はしなかっただろうが、既に引退した時の父の年齢をとうに越えた自分に置き換えて考えると、なんだか嘘のような話である。平均寿命が延びて、その頃と今とでは人の意識も社会の要請も違うとは言え、父の引退は、かなり思い切った決断ではあっただろう。よほど宮仕えが嫌だったのか、その後自分がそんなに長く生きるとは思っていなかったのか、確実なのは、引退してからのほうがずっと生き生きと暮らしていたことである。

      

祖父と父の代を見る限り、我が家には早期引退の血が流れているようで、祖父はやはり50代前半の太平洋戦争中に、大病を患って病気退職している。退職後、悠々自適の生活を満喫していたというのもふたりは良く似ていて、連れ合いを残して先に旅立ち、死後に家族から好き放題に生きて幸せだったでしょうと言われていた。NHKと旧電電公社の職員という、親方日の丸のような職場にいたことも共通しているが、実直な役人タイプというわけではなく、どちらかというと趣味人の類だったように思う。翻って、美術というヤクザな仕事を選んだ私は、定年だの引退だのという話とは縁が無くなり、同世代の人間がいない職場の中で、いまだに10も20も年下の、場合によっては自分の子供より若い人たちと、いつまでも同じことをやり続ける羽目になってしまった。ちなみに、最近一緒にチームを組むことになったのは、まだ学生で22歳の女性である。向うからすれば、下手をすると自分のジイ様にも迫ろうかという年恰好のオッサンと、同じようなことをしなくてはならないわけだから、不安でもあろうし気も遣う事だろうと思うから、できるだけ同じ目線の高さで会話しようとするのだが、それが一層ストレスだと思われていないとも限らない。ただ、救われる部分があるとすれば、彼女は相当な実力を持って私とは異なる形式で作品を制作している学生だから、私ごときの年齢や経験などではカバーできない独自の視点を持っていることで、こちらが教えられることが少なくないということである。その視点で捉えていることが、ただの勘違いかそうでないかぐらいは私にはわかるから、喜んで意見を拝聴することにしている。そして、彼女は生徒の作品に対しては、自信を持って自分の意見を言っているように見える。

      

ちなみに大学の教師には、ワーキング・プロと、ティーチィング・プロ、ミーティング・プロのみっつのタイプが必要だという。このプロは、プロフェッショナルのプロではなく、プロフェッサーのプロだろうが、要するに、自分の専門領域の研究をもっぱらにするものと、学生に教えることをもっぱらにするもの、学内のさまざまな問題についての根回しや打ち合わせに長けているものの、三つのタイプがいるということだが、なるほどと頷けることではある。これらを兼ね備えた教師がいるのが理想的なのかもしれないが、なかなかそういうのはいないから、せめてタイプの異なるスタッフをそろえて、バランスをとるのが望ましいということだろう。先日、ある著名な美術大学の大学説明会に顔を出して、前年度の入学試験の優秀作品の展示を見、担当教授の話を聞く機会があった。2〜3私が疑問に思ったことを質問すると、私の質問に対してその教授は、独創的とか、逃げないで取り組んでいるとか、果ては現代美術の影響とか、俄かには信じられない言葉を使って説明しだした。たった一枚の受験生の絵で、独創的などという言葉で表現するような評価をすべきではないし、受験生は皆逃げないで自分の作品に取り組んでいるし、現代美術という言葉でその教授は何を言おうとしているのか、一つとして私は理解できなかった。少なくともまともに表現行為に関わっておれば、これらの言葉を不用意に、しかも意味不明に使うことなど考えられない。大学という狭い世界の中でお山の大将をしているうちに、自分たちの仲間内だけで通用する(あるいはしていると思っている)言葉でしか話せなくなってしまう。美術は解り難いとされているのをいいことに、こういう人が美術大学の教授として仕事しているのだから、ますます美術が解り難くなる。そういえば、05年度に芸術選奨か何かを受賞したどこかの美術大学の教授が、あれは盗作ではなく共同制作だなどと訳のわからないことを言っていたが、あれほど見え透いた剽窃も珍しいという代物であった。こういう人たちは、私には珍獣としか見えない。

      

若い人たちと同じ仕事をすることを嫌だとは思わないが、困った問題も起こる。デッサンなど、生徒に口で説明するだけではなく、時には少し具体的に手を入れて見せてやることも必要なのだが、最近は目がいうことを聞かない。そろそろそういうことからは手を引きたいと思うのだが、今のところまだそうできる環境を作れないでいる。多分私は、石膏デッサンに手を入れている、世界最高齢の人間ではないかと、時々思う。それこそ、珍獣なのかもしれない。