なにてんなになにという風に、小数点混じりの整数の表記を、そのまま音にして日付を記憶する習慣はいつごろから始まったのだろう。私が最初にそういう言い方で記憶した日付は、2.26や5.15だ。小学生の低学年の頃だっただろうか。若い人の多くは、何だそれ?と思うかもしれないが、第二次世界大戦の前の日本で起きた軍によるクーデターである。もちろん、戦後生まれの私が、こんな日付を個人的な記憶として持っているわけはないのだが、私が子供の頃は、昭和の大戦争に日本がなだれ込んで行ったプロセスを背景にした本や映画に、今よりもずっと数多く触れる機会があったから、何となく自然に憶えてしまった日付である。具体的にそれがどういう事件で、そのクーデターが起こった背景やその後に与えた影響などについては、何年も後になって、私の中で幾つかの断片的な情報が結びつくまで理解できなかったが、それでもそれらのふたつの日付は妙に鮮明に頭に残っていた。これに比べて12月8日や8月15日は、なぜか年月日のまま記憶されている。ケネディーが暗殺された日は11月23日である。当時を記憶する人の多くがそうであるように、中学生だった私は、人類初の人工衛星によるテレビの宇宙中継を見ようと、早朝から白黒のテレビの前で待ち構えていた。中継が始まっていきなりケネディー暗殺の一報が入り、リアルタイムでアメリカの人々の動揺が映像で伝わってきた。中学生の私に、本当のところ他国の大統領の暗殺という事件の深刻さがわかっていたとは思えず、むしろ、自分が今画面で見ている遠いアメリカの映像が、録画ではなくリアルタイムなのだということの衝撃のほうが、大きかったのだと思う。1月17日の、阪神淡路の震災。これまた、年月日で憶えている日付である。
9.11という日付は、大抵の人はニューヨークの世界貿易センターへの、ハイジャックした旅客機による自爆テロの日として記憶しているはずだ。この日付は、長く人々の記憶にとどまると思うが、どっこい最近は、広島、長崎への原爆投下の日付を知らない若者がざらにいるから、そのうち案外あっけなく忘れ去られてしまっているかもしれない。それはともかくとして、娘がレンタルビデオ屋から「ワールド・トレード・センター」という映画のDVDを借りてきていたので、アメリカ人の監督のオリバーストーンがどんな風にあの事件を描くのか、休みの日に観てみた。二人の警官が、救出活動中にビルの崩壊に巻き込まれ、奇跡的に助かるまでの長い時間を描写したもので、実話に基づいたドラマだというが、映画としてはこれといって特筆すべきことはない平凡な映画だった。ただ、そこに出てくる人々のほとんどが、基本的には特権的な人々でもなく特異な思想の持ち主でもなく、普通に義務感と弱さを併せ持つ存在として描かれているだけに、観終ったあとに余計にやりきれない後味が残った。この悲劇は、アメリカ人がアメリカ本土で初めて経験した無差別攻撃で、敢えて善良なという枕詞は使わないが無名の市井の人々が大勢犠牲になった。これは恐るべき悲劇だが、にもかかわらず、前の世紀には日本を含む多くの近代国家が、他国に対してさまざまな理由を挙げてこれと同じことをやってきたし、あなたたちの国アメリカは今もまだやっているのですよ、という醒めた声が私の中から消えない。テロと戦争は違うという人もいるかもしれない。何がテロで何が戦争か、一体誰が決めるというのだろう。やった側は自衛のためだといい、やられた側は侵略だという。違うか、勝ったほうが正義で負けたほうが悪か。そんなことどうでもいい。
世界中にいったい幾つの9.11があるのだろう。3月10日の東京大空襲の時は、祖父母も両親も小岩に住んでいたから、その様子はものごころ付いた時から何度も聞かされた。その日を一生忘れられない日本人は大勢いるだろうが、アメリカの人たちはそんな日付など知らないに違いない。南京虐殺など無かったという話も最近は度々耳にするようになった。死者の数の多寡はともかく、日本兵の殺戮を忘れない中国の人は大勢いるだろう。朝鮮でもベトナムでもグレナダでもパナマやソマリア、アフガニスタンでもイラクでも、加害者は出来事を正当化したり矮小化したり記憶を封じたりするが、被害を受けたものは堪らない。悪夢を悪夢のまま死ぬまで体験し続けることはないというのは、営みを紡ぎ続けるための人の英知なのかもしれないが、それは同時に、また同じ過ちを繰り返してしまう愚かさでもある。災害や戦などで、これから幾つの日付を私は記憶することになるのだろう。そして忘れてしまうのだろう。それが恐ろしい。

