オートバイが何度目かの修理を終えて帰ってきた。最近は、コンプリート・マシーンとでもいうのだろうか、機械の完成度が高くなって最低限の面倒を見るだけでほとんどトラブルが起こらないというものが随分多くなった。以前、ある外車のディーラーで、セールスマンが自分の売ろうとしている車の利点を散々喋った後で、ふとした会話の切れ目に、はっきり言って故障しないかと言われれば、しますと答えるしかありません、もちろんしょっちゅう故障するわけではありませんけど、トヨタさんと比べれば故障はします、と珍妙な断言をしていたのを思い出した。いつの間にか、日本製の機械の完成度は、商売敵にそういうことを言わせてしまうほど高くなっている。私のオートバイはインコンプリートだ。古い上に、今時流行らないが、エンジンをいじって排気量を変えているので、オリジナルと比べれば当然吸・排気系のバランスは悪くなる。何度も修理に出して調整し直してもらっても、なかなか問題が解消できなかった。それが、何度目かの調整で、今回ようやくバランスの取れるポイントに近づけてもらえたようだ。大病院の横柄な医者にかかるぐらいなら、ちょっとぐらい具合が悪いままのほうがましだと思うが、頑張って何とかしてやろうという町医者に出会うのはありがたいもので、バイク屋さんも同じである。ノーマルな状態で乗ったことのあるバイクなら、大体どういう特性があるのかということを体が覚えているものだから、どこがどうおかしいのかも大雑把な見当はつく。しかし、私の不完全バイクは、初めて乗ったとき既にアブノーマルな状態だったので、調整してもらって変化が起こるとそれが私にとっては常に新たな基準になる。それでもまだ何かおかしいと思うから、結局何度も何度も人の手を煩わせることになってしまったが、今回ある程度バランスが取れて戻ってきて、初めてああこれはこういうバイクだったのかと腑に落ちるものがあった。ここまでくれば、後はこのすぐに傍にあると思われるベストな状態になるポイントを自分で見つければいい。

      

人は誰でも、惹かれるものには数多く、しかも繰り返し触れたいと思うものだ。そうしていくうちに、自然に自分の中である基準が生まれてきて、その基準に照らして別なものの良し悪しを判断するようになる。よほど天才的な直感の持ち主でもない限り、そういう、慣れるという行為を端折ってものごとに精通することはできないし、天才的直感などというものとまったく縁が無い私などは、嫌になるほど繰り返してものごとに触れても、なかなかそれを自家薬籠中のものとすることができない。それでも、大抵は、自分の中に基準らしきものが持てないか、持っていてもとりあえずそれに蓋をして、なんの構えもなくものごとに向き合えている時に限って、突然何かがすとんと腑に落ちて感じられることがある。学生の頃に、たまたま暇を持て余していて大学近くの博物館に何気なく入り込み、展示されていたものをさほどの関心も持たずにぶらぶらと見て回っていた時、ある書の前で釘付けになったことがあった。私は、いわゆる書道に関心はない。当然、それが書としていいのか悪いのかという基準は持ち合わせていないし、書かれている文字はまったく判読できなかった。当時、美術に関しては鼻持ちならない西洋かぶれの跳ね上がりだったものが、抹香臭い古びた書に心惹かれるなどということはあるはずもないのに、なぜか唖然として見とれてしまったのだ。後になってそれは平安時代の僧、円珍の手になるものと判ったが、どうしてあの時その書の前に長い時間立ちすくんでしまったのか、いまだに良くわからない。官能的なものほど、頭を素通りして直接全身の神経が刺激されるものだ。逆に、ひとつかふたつの重要だかちょっとした欠陥があると、全体感を大きく損なってしまうと感じるものなのだろう。料理などはその典型の一つだが、見過ごしていたことがらが見直されると、それまで食べていたものと見た目は同じようでも、まるで別物と言ってもいいほど変化する。それは多分、作品についても同じことが言えるのだろうが、食べ物に比べると、不都合をもたらしている原因を見つけるのも、そこに手を打ったことで起こった劇的であるはずの変化を感知するのも、どちらもとかなり難しいのが厄介である。収まりのいい調和と崩れそうな均衡の、ちょっとした隙間に官能を揺さぶるものが潜んでいるのだが。

      

映画好きには、見たことがないでは済まされない映画が幾つもあるらしい。音楽好きにもそれぞれのジャンルで同じようなものがあるに違いない。ほとんど脈絡のない乱読趣味の私にも、スタンダードナンバーのようなものは漠然とあって、比較的世代の近い人で本と親しむ習慣のある人が、ある作家を知らないとか、本を読んだことがないとか言うのを聞くと、ちょっとがっかりしてしまう悪癖がある。とは言うものの、もちろん私自身がなぜか今まで読まなかったスタンダードなものは、少なくないのだ。気分次第で、推理小説もハードボイルドも読むことはあるのに、チャンドラーというのは今まで一度も読んだことはなかった。「長いお別れ」を始めて読んだが、普通の人は死ぬまで多分一度も口にしそうもない気障な台詞を、主人公に立て続けに喋らせるこんな小説を書くのも、書き手としては大変だろうなという感想のほかは、何一つ腑に落ちなかった。