子供にとっては、親は産まれた時から親である。あたり前の話だ。しかし、自分はこの親から産まれたという認識は容易に持てても、自分が産まれたことで、初めてこの人たちは(何人かの子供の)親になったのだという認識は、なかなか持てない。親はずっと前から親だし、年寄りは昔から年寄りだと案外思い込んでいたりする。私の祖父は婿養子だった。旧姓を佐藤といい、実家が貧しかったので小学校に4年しか通うことができず、経済的に多少程度の良かった、兄弟のいない祖母のところに婿養子に来た。女学校でテニスをしていたという(明治時代に!!)、気の強いお嬢様の婿になったのだからいろいろと屈折した思いもあったようだ。元々負けん気の強い性格だったこともあって、役所の給仕から始めて独学で伸し上がり、50代で病気になり無念の退職をするまで、いわゆる出世コースを突っ走った。わたしが物心ついた頃は既に典型的な好々爺だったが、九つ年の違う長姉の話を聞くと、元は、頭は切れるがとんでもない頑固者で、孫に対してもとても怖い人だったという。中学生ぐらいの頃に、そんな祖父の20代はじめの頃と思われる写真を見たことがある。何かの宴席の余興で、凝った衣装を着込んで侍の真似をして大笑いしている写真だった。父が生まれる前のことだから当然私との関係など何も無い頃のもので、友人たちとふざけている祖父は、どこにでもいるがっしりとした体躯の陽気な若者に見えた。その若者が、やがて父の親となり、孫ができ、今、足元もろくに覚束ない姿で目の前にいるということに、私は不思議な現実感を持った。それは、丁度美術館に置かれている絵の前に、その絵に手を入れている画家の姿をはじめてリアルに感じたときの感覚に似ていた。
今年は残念ながら悪天候で中止になったが、12月には、毎年御近所の人たちが集まって、我が家の駐車場で餅つきをする。猫の額ほどの敷地に建ぺい率一杯に家を建てたものだから、残りの土地はわずかな広さしかない。そんなところに庭ともいえない隙間を残しても詮方ない、どうせすぐ隣は森で、借景させてもらうには十分すぎて余りあると、余った土地をすべて駐車場にしてしまったから、御近所が集まって餅つきを口実に飲んだり食ったりするには恰好の場所になった。自宅のある一角は、開発されてから多分30年余り経つと思われる住宅地の片隅に、混んだ電車の席に無理やり尻をねじ込むオバサマのように、十数建分の宅地を広げたところで、同時期に住み始めたのは、30代後半から40代前半の夫婦と子供という家族構成の家庭がほとんどだ。新参者ばかりが偶然御近所になって、何となく様子をうかがいながら暮らしていても気まずいだけだろうと、引っ越した年に、挨拶代わりに餅つきでもやりますかという話が持ち上がり、以来毎年続いている。駐車場の向かいに私とほぼ同年代の医者が住む以外は、小学校低学年から幼稚園ぐらいの子供のいる若い家庭ばかりだから、平均年齢の最も高い我が家はまるで長屋の御隠居さん一家である。何軒かの家で手分けして餅米を蒸かし、蒸けた米を蒸篭ごと駆け足で運んできて次々とついていくが、件の医者ともう一軒の主と私以外は杵を使う姿がかなりぎこちない。ついた餅を捌いて丸餅や伸餅にする作業も、なかなかテキパキとはいかない。餅つきといえども一種の文化だから、繰り返し経験して伝承されていかないとサマにはならないのかもしれない。この餅つきは、元々酒を飲み交わす口実のようなものだから、あちこちの家から持ち寄った料理や漬物を肴に男どもは酒を飲み、女どもはしゃべくり、子供ははしゃぎまわり、2〜3時間そういう時が過ぎると、米粒交じりのできの悪い餅を分け合って解散になる。今時の住宅地の風景とは思えない。あと十年もすれば、この若い家庭の子供たちは、親と一緒に家族旅行に行くのを渋るようになるだろう。思春期の心の嵐に翻弄されて、つまづく子も出てくるかもしれない。その頃には、年に一度のこのイベントも自然消滅するのだろうが、この子の親たちが、子育てを終えてもう一度もとの個人に戻れるには、その後もう少し時間が必要に違いない。そろそろリタイアが始まったらしい団塊の世代は、妙に暑苦しい年寄りとして、世間のあちこちで煙たがられていることだろう。元々人付き合いが苦手で飲み会やパーティー嫌いの私でも、この風景は妙に面白い。
団塊の世代の男にとって、明日のジョーはもっとも記憶に残るヒーローのひとりだという。ライバルの力石とジョーを体制と反体制という図式になぞらえたり、ラストのシーンを自分のあるべき姿にダブらせたりといろいろな講釈がされているようだが、案外この世代の明日のジョー好きは、今でも自分自身のイメージが、リングで燃え尽きた最後のジョーの年齢から変わっていないというのが正解では無いかと思う。写真やビデオの映像の中の自分を見ればもちろん立派なジィさんなのだし、毎朝髭剃りに鏡を見るだけで嫌というほど確認できるが、何かをしている自分を頭の中で想像する時は確実に年齢不詳になっている。ある時期から、そのギャップはますます広がるばかりだ。もしかしたら、適当な時期に孫ができてジィちゃんとか呼ばれるようになると、人によってはギャップは小さくなるのかもしれないが、子供に父さんと呼ばれてもなかなか父さんになりきれなかった人には、それも難しい。人のことを言えた義理ではないのだが、そんな、役になりきれない大根役者のような人が、もしかしたら団塊の世代には多いのかもしれない。下の世代から見ると、鬱陶しいことだろう。明日のジョーは、今ではすっかり丹下段平になってしまっているというのは、確かにちょっと辛い話ではあるのだ。

