正月を跨いでの冬期講習会が終われば、予備校はいよいよ一年の総決算のシーズンである。予備校に限らず、日本ではほとんどの学校が3月で年度が終了するから、試験や卒業式や入学式やその他諸々の行事が年明けの2-3カ月に集中することになる。先生と呼ばれる仕事の人は、誰も彼もこの時ばかりは忙しい思いをしているはずである。中には、忙しいのは本当にこの時だけ、の人もいるだろうが。学生アルバイトの時期から、結局その後8年間教えることになった都内の某美大受験予備校は、生徒が全国から集まるマンモス予備校だった。最近と違って美大受験生全体に、美大の入試には実技の試験があるから、合格するまでにはある程度浪人してしまうのは当たり前という意識が強く、ましてや絵画や彫刻といったいわゆるファインアートを選択するものは、どこかに、自分は高校までの友人たちとは違う道を選んでいるという矜持みたいなものがあった。私が担当していたクラスの三分の二ぐらいは、地方出身の生徒がいただろうか。彼らは正月休みにわざわざ実家に帰郷するなどということはせず、アパートに一人でいてもつまらないからと入れ替わり立ち替わり私の家に泊まりにきた。やがて入試が終わると、そのうちの何割かは大学に合格していくが、何割かは不合格になり、もう一年受験浪人を続けることになる。合格発表で不合格が決まってから、次の年度が始まるまでの間はひと月ほど間があく。その間も、実家に帰ろうとしない者がいた。この時は、どうせ帰っても居心地悪いだけだからというのが彼らの言い分だったが、(自宅通学のものも含めて!)数人が私の家に寝泊まりしていた。すでに妻子がいた私の家は、その季節は合宿所と化す。誰かが台所に立ち、子供をあやし、掃除をし、皆で食事を済ませた後は、まだ若かった私も交じって連日晩くまで、美術や映画や芝居についてそれぞれの生硬な世界観を振り回して言葉を交わした。その中の何人かは縁あって今でも同じ職場で仕事しているが、大半はあちこちに散らばって、今では指導的な立場になって活躍しているものもいるだろう。彼らにとって、私は必ずしもいい美術の先生ではなかったと思うが、私のほうは、彼らと一緒に過ごすのはとても楽しかった。しかし、今にして思えば、音楽家の妻は年に数回我が家が合宿所になるとは夢にも思わずにいただろうし、十代後半から二十代初めのよく知らない若者が朝から晩まで家の中でごろごろしていて、よく平気でいたものだと思う。
毎年、次の年度の予備校の案内書が一月半ばに刷り上ってくる。入稿までに何度も何度も校正するので、完成するころには、どのページも隅々まですっかり見飽きてしまっているのだが、それでも冊子の形になったものを手にするとなんだか見とれてしまう。基本的には毎年内容に大きな変化は無いのだが、巻頭のOB/OGの作品や仕事を紹介する記事と7000字ほどの私のエッセイは、毎年更新することになっている。予備校の案内書に個人がエッセイを載せるというのも考えてみればおかしな話だけれど、以前から、ホームページや学校の案内書などの、顔の見えない誰かさんからの不特定多数を対象にした親しげな語り口というのを私はかなり不快に感じていたので、せめて文責を明らかにした部分が少しはあってもいいだろうと思って始めたものだ。これまで、その年にたまたま話題になった尾形光琳をモチーフにしたり、道具について書いたり、アートとデザインについて書いたりしてきた。もとより私は、自分の作品を作ることはしても専門的な研究者ではないから、内容は雑談程度のものでしかない。読書離れが顕著だといわれる生徒たちの世代で、果たして案内書を手にした人がどのくらい読んでくれているかは知らないが、何かの折に暇つぶしに読み流してくれることでもあればそれで十分だ。刷り上がった冊子は、これまでその冊子に寄稿してくれた人たちや以前講師をしてくれていた人たちに、簡単な挨拶文と一緒に時期外れの年賀状のつもりでお送りしている。すると、何人かの懐かしい人たちからハガキをいただいたり、メールをいただいたり、時には突然電話をいただいたりする。
今年も、以前予備校で工芸を担当してくれていて、今は北陸の県立の美術大学で教えている、講師OBから突然電話があった。アートとデザインについてお前がどう考えているかはわかったが、工芸についてはどう思っているのか気になって電話した。今は大学院の入試の真っ最中で、ちょっと暇になって電話したのだが、そのうちゆっくり話を聞かせろ・・という内容のものだった。前振りなしで突然本題に入る語り口は、予備校にいたころと少しも変わらない。もう40代半ばになるはずだか、北陸のこじんまりした美術大学では、かなりとんがった存在なのだろうと想像する。そうこうしているうちに、今度は一通の手紙を受け取った。よくある名字なので、封筒の裏書きを見ただけでは差出人に心当たりはなく、封を開けて初めて、2年ほど前まで講師をしてもらっていた人の母上からのものと知れた。そこには、娘は昨年10月に急逝いたしましたと書かれてあった。送っていただいた案内書を仏前に供えていますが、1ページ1ページゆっくり見ている姿が目に浮かびますとも。絶句した。高校生のころから、美術が好きで好きでたまらないというタイプで、紙の組成の研究を専門とする美術作品の保存科学を大学院で専攻した。そのままどこかの研究機関に職を得るのかと思っていたら、彼女は予備校を辞めて静岡の民間の製紙会社に就職した。今度本社から転勤でこちらに戻ってきたから、そのうち顔を出しますとの葉書を、昨年夏に本人から貰ったばかりだった。

