私は言葉の専門家ではないから、言葉について何か書くというのはおこがましいが、先日、地球温暖化をテーマにしたテレビの番組で、化石燃料以外の動力を模索する次世代の自動車の未来的なデザインについて、アナウンサーが近代的な形ですねと言っていたのを耳にして思わず笑ってしまった。近代っていつのことだよ、今19世紀かよと、その場にいたら突っ込みたくなるような話だが、近代的とか文化的とか、ずいぶん曖昧に使われている言葉は少なくない。最近はもうそういう呼び方はしなくなったかもしれないが、1950-1960年代には、関西には文化住宅と呼ばれている建物があった。長屋風の建物で、共同炊事とか共同トイレとかではなく各戸に専用のそうした設備を持つというもので、つまりは当時としては最新の設備を持つ共同住宅ということになるのだろうが、これのどこが文化と関係あるのかわからない。囲炉裏が切ってあって小さな茶室もあり、床下に漬物用の収納庫が完備されているというのなら、文化住宅というのもなるほどということになるけれど。そう言えば、文化包丁や文化鍋というのもあったし、文化庁というのもある。いずれも文化とはほとんど関係ないというと叱られるか。人々の地域に根差した長い営みの中で生み出された食べ物のひとつが発酵食品だとすれば、発酵食品の多様さや完成度の高さは、その国や地域の文化の成熟度のひとつの指標だと言っても差支えないだろう。チーズや調味料など優れた発酵食品は世界各地にあるが、漬物もそのバリエーションの多さと味の複雑さではなかなか侮れない発酵食品である。
学生の頃、埼玉県の与野(現在のさいたま市中央区)の1Kの小さな戸建ての借家に住んでいた。大学までは電車一本で行くことができるから、学生が一人で住むには都合のいい場所だったが、当時は駅近くに小さな商店があるだけの鄙びた街で、ちょっと足を延ばすとすぐに畑が広がっていた。何が切っ掛けだったかはもう忘れてしまったが、いつからか、そこで毎年、梅干しとラッキョウを自分で漬けるようになった。念のために書くと、いくら昔の話だといっても、1970年代に一人暮らしで漬けものを自分で漬ける男の学生は、まずいなかっただろう。別に私が、特に漬物にこだわりのあるグルメだったから自分で漬けたというわけではなく、普通だったら腐ってしまいそうなものが、手順を踏んでいくと腐らないばかりか生の時とは全く違うものに変化するというのが面白かった。借家の掃き出し窓の外には低い生垣があって、生垣の向こうは畑だった。その生垣に渡してあった竹の棒に、部屋の中から安い簾をひっかけて梅やラッキョウを並べて干すのも、古い日本映画の一シーンのようで、わざわざ白黒の写真に撮って悦に入ったりしていた。大学の同級生たちとたまに酒を飲むと、決まって終電近くまで居酒屋で粘って飲んでいるものだから、そのあと数人が私の家にやって来た。普段自分の家で飲酒する習慣はなかったから、私の家にはめったに酒はなかったが、前に友人が下げてきた酒の飲み残しがあればそれを飲み、無ければお茶を飲みながら、皆梅干しやラッキョウをぽつぽつと口に入れて明け方までとりとめのない話をしていた。そのうち、私の漬物は同級生の間に口コミで広がって、私が参加していない飲み会の後でも、夜遅く突然お茶漬け食わせろという電話がかかってくるようになり、制作中だから駄目だともっともらしい理由をつけて断っても、三度に一度は手土産があるという誘惑に負けて、狭い借家は雑魚寝の場所になってしまった。若い盛りの一人暮らしだというのに、色気のない話である。
娘のひとりが、以前から気になって仕方ない風だった糠漬けを作り始めた。昔、妻が何度か作っていたが、ちょっと味がこなれてきたと思うと、掻き回すのを忘れて糠床の表面の一面にカビを生やし、その面妖な様相に恐れをなして文字どおり臭いものに蓋をして、結局いつの間にかなくなっていた。娘は、どうせやるなら一から自分で作りたいと思ったのか、米屋で小分けしてビニール袋に入れて売っていた米糠を買ってきた。糠床を作るには、まずこの糠を念入りに火で炒って殺菌しなければならない。本来は焙烙(ほうろく)という素焼きのフライパンのようなものでじっくりと時間をかけて炒るのがいいのだが、我が家は、私と妻が呆け夫婦になったときうっかりして火事の火元になったりしないように、電磁調理器しかなく、まさに文明が文化を駆逐している状態である。仕方なく、低温に設定した電磁調理器にかけたフライパンで糠を炒って、荒熱を取って塩を入れ、昆布や屑野菜を入れて糠床造りの始まりである。家の中は暖かいとはいえ、この季節はなかなか糠の発酵が進まない。煮干しを入れたり、何種類かの野菜を取っ換え引っ換え入れては掻き混ぜるが、一週間を過ぎても糠はパラパラしたままで、香りも糠床の香りではなく糠そのものの香りのままで、数日間中に埋めていた野菜を取り出して口にしてみても塩辛さだけが際立っている。そうこうしているうちに、いくらか香りに変化が現れて、かすかに糠漬けらしさが漂って来た。この娘が私から受け継いだところは、幸か不幸か美術への興味ではなく食べることの楽しみで、それが高じてたまに料理教室に通ったりしているが、そこの先生の実家が老舗の寿司屋らしく、実家に60年間使い続けている熟成した糠床があるから、それを分けてやるという。基本的に、糠床はさまざまな種類の乳酸菌がまじりあって風味が増していくという。だから、なるべく他家の糠床とコラボレーションすることを心掛ければ、クオリティーは高くなるらしい。戴いた60年物の糠床とブレンドされて以来、確かに生後ひと月の我が家の糠床は格段に成熟した。恐るべし60年と思っていたら、私ももうすぐ60年物になることに気付いた。こちらは一向に熟成が進んでいないので、若い人に対してかの糠床ほどの力はないことは言うまでもない。

