高校を卒業して、島根の実家を出て初めて東京で一人暮らしをしたのは、1968年の春である。街は’70年の日米安全保障条約の改定を控えてその反対運動が盛り上がり、大規模なデモがあちこちで繰り返されて、警察の機動隊と学生のデモ隊が衝突したあくる日は、駅や窓を開けて走る電車の中にも催涙ガスの名残が残っていて目が痛むというありさまで、騒然とした雰囲気が漂っていた。大工をしている大家の自宅の二階部分を改装した3畳一間の間借りに住んでいて、廊下を挟んで両側にベニヤ板でできた引き戸が入口の同じ大きさの部屋が5部屋ずつ並んで、私の部屋は突き当りの角部屋だった。トイレも流しも共同で、部屋は全部間借り人がいたが、昼間に人の気配を感じるのは休日の午前中くらいで他の日はいつもひっそりとしていた。家賃は、月5000円だった。四人兄姉の末っ子の私が大学に入学した時にはとうに父は退職していて、実家にはアパート暮らしをしながら大学に通う息子の学費や生活費を仕送りするほどの経済的余裕はなかったから、自活していくにはそれでも結構な負担だったように思う。そういう暮らしをどう感じていたかというと、別に不便だとも辛いとも感じていなかった。多分、人は誰でも自分の周りに見えない風船のようなバリアを持っていて、そのバリアの中にいると何となく落ち着いていられるような気がするのだろうと思う。実家で8人プラス居候一人の9人の家族と一緒に暮らしていたときは、体や気持ちが疲れた時は、その風船の中にこもって自分ひとりになることが必要な時もあった。一人暮らしを始めてみると、基本が一人なのだからそんなものは必要としなくなり、むしろ邪魔になってくる。人やものとの関わりの中でふいに思いがけないできごとに出くわすと、それまでなんとなく意識していた自分自身のアウトラインみたいなものがどんどん描き変えられていく。しまいにはそんなもの気にしても何の意味もないのではないという気分になり、自分が他人にどう見られているかなどということはどうでもよくなっていった。受験浪人をしていたくせに、生きていることがどんどん楽になっていった。

年端もいかない幼児でも、人前に出るとやけに緊張する子がいる。それまで天衣無縫に誰に対してもニコニコしていた子が、ある日突然、知らない人に話しかけられた時、顔をひきつらせて親の後ろに隠れる。私の二人の娘も、まだ幼児の頃にある日突然人見知りを始めたことがあった。それまで何度も会ったことのある人なのに、簡単なことを聞かれてももじもじしていてなかなか言葉が出ない。そのうち相手が、話の接ぎ穂がなくなって笑ってごまかしながらこっちに話題を振る。困ったものだと思ったが、少しずつ自意識が芽生えてきたのだと思えばいちがいに悪いことだとばかりは言い切れない。私自身は、もちろんそれほど小さい頃にどうだったかというのは全く憶えていないが、小学校に入学した時に、入学式の前の晩に小学校の先生が突然我が家に来て、明日までにこれを憶えて入学式で挨拶をしろと言って紙を置いていき、それを必死で覚えてかなりドキドキしながら喋ったというのを憶えている。私たちは今日○○小学校に入学しました、お兄様、お姉さま方…というくだりだけは今でも言えるから、よほどのストレスだったのだろう。生まれて初めて口から心臓がとびかすと思うほど緊張したのは、やはり小学校の四年生か五年生の頃だと思うが、花火のことを書いた作文をNHKのラジオで流すからスタジオで読めと言われ、山の上にあった放送局の録音スタジオで作文を読ませられた時だ。建物の中の廊下をくねくねと曲がって着いた先は、分厚いドアのあるそれほど大きくない部屋で、部屋の壁の一部がガラス張りになっていて隣の部屋が見通せる仕組みになっている。合図をしたら読んでねと言われて、そのおばさんだかお姉さんだかがドアを閉めると、部屋の中の空気がモアッとした重さに代わって、何のことは無いほぼ完全な防音状態になったのだが、それでいっぺんに頭に血が上ってしまって、ドーンという大きな音が・・・という読み出しが、ド~~~~ンどいぶお~~~ぎなおどが・・・になってしまった。スピーカー越しにもう一回読んでみようかと言われるたびに心臓が食道を上ってきて、終いには喉のあたりでどっきんどっきんとやり始め、結局原稿用紙4-5枚の原稿を読むのに何時間もかかってしまった。

最近の若い人は、必要以上に緊張して自滅してしまうということがなくなり、大きな舞台でも物怖じせずに振る舞う人が増えたと、スポーツ中継などを見ていると耳にすることがある。確かに、大きな試合でプレッシャーでガタガタになってしまうという選手は、昔と比べると少なくなった気がするし、インタビューを受けていても、そつなく受け答えのできる若者は珍しくないから、肩ひじ張らずに行動できる人は増えているのかもしれない。ところが、なぜか身近なところで触れている若者からはむしろ逆な印象を受けることが多い。ごくありきたりな場面で、自分の考えていることを相手に端的に伝えるということができず、つっかえつっかえやっと言葉にしていると思ったら、話し終わらないうちに言葉を飲み込んでしまう。仲のいい友達同士だけでいるときは、別人かと思うほど明るくてよく喋るのだが、世代や生活環境の異なる人を相手にすると驚くほど自分を閉じてしまう。多分、言葉を選びすぎて、そのせいで辻褄が合わなくなってしまっているのだろうと思うのだが、それだけではなく、自分の周りに作った小さな風船の外側に出ることを極端に怖がっているようにも見える。そんな子たちが、入試という、一見自分の運命を大きく左右することのようにも見えてしまうけれど、実はただの通過ポイントにすぎないイベントで、風船の中に閉じこもって体を丸めてしまい、できることの半分もできないまましくじっていく。イソップの蛙のような話があるくらいだから、自分を大きく見せたいという欲求は人間の業のようなものかもしれないが、できることはできるできないことはできないと思ってしまえば、小さな風船の外に出ていくことなど簡単にできるのにと思う。ここでも二極化が進んでいるのだろうか。