お前の首から上はただの飾りか!、と昔よく言われたものである。よほどボーッとしていたのか、それとも勘違いなことばかりやっていたのか知らないが、それにしても上手い言い方があるものだ。もっとも、ただの飾りだとしても、私の首から上の造作では大いに役不足と言わざるを得ない。飾りにもならぬとしたらいっそ取ってしまうかと言われても、そういう訳にもいかない。ところで、頭で考えて手を使うというのはごく当たり前の公式なのかもしれないが、最近いささかそれを疑いたくなってきている。むしろ、手で考えて頭を使えというのが正解なのではないかという気がする。頭と手は、目と筆と言い換えてもいいし、プランと作業と言い換えることもできるかもしれないし、机上と現場に置き換えるのもいい。前者が後者を支配するという発想が当たり前になりすぎてしまって、その結果あちこちで妙な歪みが出てきているという気がしてきている。政治と国民生活などはその最たるものだろう。頭だけで碌でもないことをあれこれと企むものだから、手のほうは振り回されるだけで、一向に上達もしなければ敏感にもならずどんどん鈍くなっていく。作品を作るという行為の中では、ものに触れることが大きな比重を持つ。筆と画面との間に生まれる感触が、思い通りにそのまま突っ走らずちょっと立ち止まれ、と命ずることは少なくない。そこから、あれこれと考えなくてはならないことが出てくるのだが、頭の中の妄想だけで作品ができるのならこんな簡単なことは無い。ただの思いつきと意志の違いは、手が教えてくれるものなのだ。ものを作り上げていく現場では、現場だからこそ実感して感じられることがたくさん転がっている。それを擦り合わせて具体的な形にしていくことができるか、机上で勝手にものごとを決めて、現場に従わせていくのをもっぱらにしているかの違いは、作るもののクオリティーを決定的に左右する。基本的なコンセプトは、大抵机上で決まっていくものだが、それをブレさせずにどう実行してクオリティーの高いものにしていくかということは、現場で決まるのだ。
好きか嫌いかと言われれば嫌いなメーカーだが、あのトヨタの躍進を支えたと言われるのは、「カイゼン」という生産現場からの提言が、重要な要素のひとつだということはよく知られている。工具の置き方からラインの進め方まで細かく現場からの提言があり、ジャスト・イン・タイムという材料納品システムを作り上げたという。そのQC(品質管理)の勤務時間外の活動が、今まで残業扱いされていなかったというのは驚いたが、実績に見合う額としてその分も給与に反映されていたから、40年近くもそれがマンネリ化せず続いてきたのだろう。仕事で、一定規模以上の規模の法人と関わりを持つと、それなりに積極的で意欲的で、高い能力を持つと思われるスタッフと擦り合わせを進めていって、挙句の最終的な結論が、あきれるほどお馬鹿な中身になったりするようなことにしばしば出くわす。そういう馬鹿頭の下で、命じられるまま働かざるを得ない人を気の毒に思うしかないが、それも自分で選んだことだと言ってしまえばそれまでである。頭が手を支配しているだけの組織では、手はものを考えなくなる。敏感な手も、頭に否定されていくうちに摩擦に懲りて、それが本当は最も悲惨な選択だということに気づかないふりをしながら、奴隷という楽な道を選んでしまうことになる。
最近新聞で取り上げられていた、東京都の教育委員会の出した都立高校の校長への通達には、怒りを通り越してあきれてしまった。教員会議で多数決を採ることを禁じたというのである。指示には従えばいいのであって、会議で多数決など採るから混乱するということらしい。この通達に真っ向から反対している校長は少数派で多くの校長は従っているようだから、お役所・校長・教員という権力の図式の中でまさに中間管理職でしかない校長は、役所の言うことに唯々諾々と従っていれば、大過なく定年まで勤められるぐらいのことしか考えていないのだろう。この話からいくつかのことが想像できる。まず、教育委員会は、自分たちこそが教育に関するすべてに責任を持っているのであって、現場は考えたり検討したりする必要は無く、黙って指示したことを実行すればよいと考えている。一方、校長は、教員に納得させる力も教育委員会に物申す覇気もないと見抜かれているから、自分が動いても何も変わらぬと悟って言われたとおりに動けばいいと考えている。現場の教師は、議論して検討して結論を出しても、自分が納得できなければその結果には従わず、最後は勝手にやればいいという子供っぽい行動をとる。この三者は、プランナーが基本的な方向性を打ち出して、それを実現するための方法は現場の知恵に任せ、現場では、必要な議論を尽くして、個人レベルでさらに工夫を重ねアレンジしながら、最も効果の高い方法で実現するという、当たり前のことが誰もできなくなっているということだ。こんな荒涼とした風景の中で、まともな教育などできるわけがない。鈍感な手は、ますます頭も鈍感にする。鈍感な手と頭が、敏感な子供たちに向って、10年1日のごときつまらない思いつきを繰り返しているのかと思うと、暗然とする他はない。

