この年になるまで、私は幸か不幸か人から何かを命令される立場になったことがない、などと書くと、何を偉そうなことを書いているのだとひんしゅくを買いそうだが、事実だから仕方がない。もちろん、強く要請されるとか指示されるとかという、幾らか命令に近いものを受けることは、雇われの身であった時にはそれなりに経験してきた。ただ、それはものごとに決定と実行の仕組みがあって、立場の異なる複数の人間が係わっていれば避けようのないことである。勝手気ままにひとりで生きているわけではないのだから、家庭の中でだってそんなことは誰でも経験する。ここでいう命令というのは、それに従わなければ場合によっては自分の身に致命的な不利益を蒙ることになるといった、強制力を伴うものである。私の場合は、理由や意味が理解できなかったり賛同できなかったり、実行しても意味がないと考えた場合は、反対の理由を述べて拒否すればそれで済んだ。これは、私がどうでもいいことしか頼まれない程度の存在だったということなのかもしれないし、それほど厳格な組織に身を置いていなかったということなのかもしれないし、ただの幸運に過ぎないことなのかもしれない。多分その三つのどれにもあてはまるのだろうと思う。もしかしたら、作品を制作するということを軸にして、仕事に就いたり人と関わってきたりしたことの最大の恩恵は、これだったのかもしれない。そんな人間に、誰かが自分を賭して何かを実行しろなどと命じても、無駄だからだ。
上意下達の縦関係が確立している組織に属していると、その組織が、規模の大小にかかわらず柔軟性を欠いていれば、決定されたことの是非とは関係なく実行する立場の人間はそれに従わなくてはならないということになりがちだ。そればかりか、効率よくそれを実行して目論まれたことに成果をもたらすことができなければ、実行者は無能であると評価されるに違いない。この図式が完璧と言っていいほど確立しているのは、官僚の世界だろう。政治家たちを誘導し、彼等の党利党略や私利私欲に乗じて政策を立案させ、それを最大限効率よく実行して効果を上げるのが有能な官僚なのであり、官僚機構の中では、下位の実行者の口からNOという言葉が出てもそれは全く大勢に影響を与えることはない。もし、上位の者の命に逆らってそれが多少なりとも影響力を持つことにでもなれば、その実行者はシステムの外に弾き飛ばされるだろうし、ことと次第によっては職を奪われることにもなりかねない。思考停止状態にでもならなければ、とてもまともに関わっていられないほどの煩雑な仕組みを作り、その中で膨大な量の作業をこなすことを通して学習させ、次々と新たに有能な官僚を再生産していく。こうした官僚機構の実に巧みに練り上げられた仕組みは、今やさまざまな民間の組織でも部分的に改良されながら大いに活用されている。できれば軋轢は避けたいということは、よほどの好戦的性格でなければ誰しも思うことだが、唯々諾々と人の指示に従っているうちに気が付くと取り返しのつかないことになってしまっていたということなど、ありふれている。そうなってから、慌てて抗弁しても何の意味もない。つくづく素直さの足らない我が身が愛おしいこの頃である。
官僚機構に似た組織で完成度が最も高くあらねばならないのは、軍隊だろう。上からの命令があれば、例えそれがどんなことであろうと絶対に従うというのが最低限のルールであり、命令を実行して最大の効果をもたらすのが英雄である。決定の過程やその内容に疑念を持つことは禁じられ、兵士の躊躇いを払拭するために論理を超越した愛国心などの情念や観念が尊重される。ロビー・ブローマン,エイアル・シヴァンの共著である、「不服従を讃えて」は、第二次世界大戦での数百万人のユダヤ人大量虐殺に重要な役割を果たした、アドルフ・アイヒマンの裁判の記録映画のスクリプトの形を取っている。アイヒマンが逮捕されたことは、当時小学生だった私の記憶にもかなり鮮明に残っているが、裁判の詳細についてはほとんど何も知らなかった。戦争という狂気の後の様々な事後処理には、当然立場の異なる勢力の政治的な思惑が交錯するが、この裁判ももちろん例外ではない。ただ、この裁判の主役は、戦争遂行システムを稼働させていく中で、明らかに逸脱した目的のためであることを知りながらも、ユダヤ人の効率的輸送を指揮し続けた有能な官僚である。この官僚の有能さは、結果として最大級のおぞましい成果をもたらすことになるが、少なくとも彼は、ユダヤ人絶滅計画の発案者でもなければ直接の実行者でもない。ユダヤ人の移送の責任者という、自分に任された仕事から降りなかっただけである。この本にも登場するが、「ミルグラムの実験」と呼ばれるという実験がある。記憶に関する実験という名目に応募した40人の被験者を先生役にし、あらかじめ本当の内容を知らされた生徒役と組ませる。記憶力を確かめる出題をし、間違えると先生役は生徒に電気を流すスウィッチを入れるように言われる。実際には電気は流れないが、被験者は45Vから始まって、一問間違えるたびに15Vずつ電圧を上げるように指示される。電圧が上がるたびに生徒役は苦しみを増すような演技をするようにあらかじめ言われている。何人かの被験者は実験の中止を訴え、中には実験そのものを疑う者も出てくるが、一切の責任は実験を主催する側が負い被験者に責任を問うことは無いという説明をすると、ほとんどの被験者は実験を継続した。後半には、生徒役はほとんど悶絶に近い苦しみを演じるのだが、結果として65%の被験者が用意された450Vまで、ためらいながらも電気を流し続けたという。権威や権力から硬軟織り交ぜての圧力を受けると、それに抗しきれずに従ってしまう。食品偽造、不正融資、欠陥の隠ぺいなど次々と出てくる企業犯罪。その行為の実行を決定した訳ではないが、不正や偽造と知りながらも黙々と事務処理してきたこの国にいる大勢の有能な人たちも、この65%の人たちとよく似ている。たいていは、とてもいい人だったりするのだ。

