下の娘が産んだ女の子が、もう数か月もすれば2歳になる。自分の子供が小さかった時にも確かそう思った記憶があるが、幼児はいっとき爆発的といってもいいほどの速さで知恵を付ける。最近は、一週間どころか数日で、それ以前に見られなかった行動を見せたり言葉を喋ったりし、娘夫婦が大人に話しかけるように話しかけるものだから、驚くようなリアクションも見せる。このままのスピードで進化したら大変なことになるはずだが、そんなことはあるわけもなく、ある時期になれば進化速度は見事に低下する。挙句の果てに停止してしまうのは致し方ないとしても、せめてバックギアにはシフトしないでくれればいいがと思う。ふと世間を見渡すと、バックギアでエンジン全開という大人や子供が少なからず目につく。

そろそろ好き嫌いの意思表示をはっきりと表すようになり、いったん嫌だと決めたらなだめてもすかしてもそれをなかなか曲げようとしないのは、気の毒に隔世遺伝のような気がしないでもない。手元にたった一枚、私が3歳くらいの頃の写真がある。年下の友人に鉄球と名付けられた所以の写真で、60年ほども昔の白黒写真だから、フィルムの感度が悪くハーフトーンの幅が少ないせいか、やけにコントラストが強く顔の影の部分が黒ずんで写っている。突き出た額の影が目の辺りを暗くしていて、頭には一本も髪の毛が生えていないから頭全体が金属のように光っている。兄が後ろから両肩に優しく手を置いているのに、眉に皺をよせて、幼子には似合わぬしかめ面をしている。母が生前この写真を見て笑いながら、上の3人は、これくらいの年頃にはお世辞でも可愛いお子さんですねぇって言ってもらえたのに、お前は一回も言われたことが無かったねえと言っていた。人相が悪いから、さすがにそういうのは皮肉が過ぎるとだれもが思ったのか、下のお子さんなのにしっかりした顔つきをなさっていますねとか、利発そうでいらっしゃいますねとか言われたらしい。困った時の人間の創意工夫には感心するほかはない。微かに記憶に残っているだけでも、癇癪持ちで頑固だったために母に肩身の狭い思いをさせたことは一度や二度ではなかったから、まったく可愛げのないことおびただしい子供だったのは間違いない。共稼ぎの娘は、勤務の関係で休日が必ずしもカレンダー通りとはいかないこともあり、時折我が家が保育園代わりになるので、これからは少しずつ躾もしなくてはならない。子供の躾については、褒め殺しから虐待まで問題山積なだけに、百家争鳴で至極ごもっともな意見も数多くあるが、自分がされて嫌なことは人にもするなというのが基本である。この当たり前のことから逸脱する連中が世間にはたくさんいて、そういうバックギアでエンジン全開の大人が、愚にも付かない屁理屈を言いながらいろんなことしでかすものだから、厄介ばかりが世にはびこる。ノーム・チョムスキーの「覇権か生存か」を読んでいると、宗教に限らず原理主義というのは、まったく手の付けようがないほどの愚かな行動を引き起こすものだと思わずにはいられないのだが、アメリカの共和党の大統領選指名候補によるテレビ討論の内容を知ると、一層その思いが強くなる。ロムニーは、「タリバンはアメリカ人を殺しているから我々は世界中のどこにも行って彼らを殺す」と言い、キングリッチはジャクソン大統領に触れ、「彼はアメリカの敵について明快な考えを持っていた。殺せということだ」という。二人とも聴衆から大喝采を浴びていた。一方で、「自分たちの国にしてほしくないことは、他国にもするべきではない」と言った候補に対しては、ブーイングの嵐である。これはたまたま共和党の討論会で口にされた言葉に過ぎないのだが、アメリカのみならず武力を行使する世界中の国が、この言葉をそのまま実践している。救い難いことに、敵を殺すと言いながら自国の被害者の何十倍もの数の子供も老人も、一緒くたに殺しまくって恥じるところがない。しかし、それが現実だからと言ってまさか子供に、自分を脅かすものに対しては、遠慮はいらないから殺してしまいなさいと教育するわけにはいくまい。現実だからこそ、自分がされて嫌なことは人にしてはいけないと理解させなくてはならないのかなどと、よちよち歩きの赤ん坊を眺めて躾のことを考えていたら、あらぬ方向に妄想が走ってしまった。

今年成人を迎えた人は、1970年に成人になった人の数の半分しかいないという。私もその年に成人になったものの一人であり、長い間美大受験生に関わってきただけに、若者人口の減少は肌身を通した実感として受け止めている。一方で、幼稚園から大学まで、いやそれを言えば一生涯、過当で過密な競争にさらされてきた我々世代の異常さも再認識せざるを得ない。人口減少は、一般的には負のベクトルとして意識されている。政治や経済にとっては確かにそうだろう。しかし、個人にとってもそうなのかと言えば、高度成長やバブル景気と全く縁のない生活の中で、自分には何が表現できるのかということばかりと向き合ってきた私には、それは疑わしく思える。いつだって敵も味方も全部自分の中にいるんだよ、などという気障なセリフが頭に浮かんだら、赤ん坊がなぜか「やや!」(いやだの意)と言った。