甘いもの嫌いである。ケーキやクッキーの類はもちろん、果物もほとんど受け付けない。目の前に出された菓子や果物に手を付けないでいると、中には気を使って、これは全然甘くないから大丈夫ですよとしきりに勧めてくれる人もいるが、全然甘くないという言葉の意味が解っているのかと思う。よそ様のお宅に伺うのが苦手なのは、過剰に遠慮深いと誤解されて何やら気まずい雰囲気になることがあるからでもある。母の話では、2歳くらいの頃に、何日か仏壇に供えてあった小倉饅頭か何かを盗み食いして酷い食中りになって以来、甘いものは食べなくなったらしい。だから記憶にある限り、おやつは小エビの煮たものやスルメや煎り大豆など、酒の肴系ばかりだった。バレンタインデーには、年間のチョコレート消費量の何割かが一度に消費されるそうで、耳にするだけで胸が悪くなる思いだが、もちろんチョコレートにもそれに込められたメッセージにも私は縁が無い。

女性から男性にチョコレートを贈るというこの変な習慣は、もともとローマの禁婚時代に秘密の結婚を司ったかどで聖バレンタインが処刑されたこの日に、女性に想いを伝えたい男性が、花束と一緒にチョコレートを添えてプレゼントするというのが、19世紀のイギリスで流行り始めたことに始まるという。そこから思い付いた日本のチョコレートメーカーが、販路拡大のために、逆に女性から贈るというキャンペーンを仕組んだ。このキャンペーンを思い付いたメーカーの社員は、チョコレート業界でこぞって神と崇められてもいいくらいなものだが、残念ながらそういう話は聞かない。最近は、ただの交流イベントみたいになってきているようだから、本気で意中の人にチョコレートで想いを伝えたいと思っている女性はさすがに稀だろう。ところで、今の若い人たちが異性に想いを伝えるときはどんな方法を採るのだろう。直接口頭でか、もしかしたら携帯のメールでか、コンテクスト理解能力全開の以心伝心でか、まさか、もはや死語となっているラブレターではあるまい。江戸の昔は、ラブレターのことを付け文とか落し文とか呼んだ。付け文の方は、人を介すか自分自らで相手に手渡すのが普通だが、落し文の方は、人の目につきそうなところに置いて相手に気付かせるという高等戦術である。ただし、この方法はラブレターに限らず、密告や怪文書を渡す時にも使われたので、落し文にはそういう意味もある。どちらもちょっと秘密めいている匂いがするのは面白い。ちなみに、オトシブミという名の昆虫がいる。伊豆のアトリエの近くを歩いていると、葉で折った折り紙のようなものが樹にぶら下がっているのを、割と簡単に見つけることが出来る。最初に見つけたときにも、多分虫の作ったものだろうということは容易に想像できたが、その虫がオトシブミという名だとは知らなかった。色っぽい名前だと思い、雌を誘うための仕掛けかと早合点して昆虫図鑑で調べてみたら、そうではなく、卵を産み付ける巣だという。その巣の形状から付いた名らしい。几帳面に折りたたんである葉が手紙のように見えるからなのだろう。卵を孕んだ雌は、適当な葉を見つけると葉に切れ目を入れ、真ん中の太い葉脈に刻み目を入れて、その先が萎れるのを見計らって二つに折り、先から巻き上げていく。巻き始めに、中に卵を産み付けてから丹念に巻いていく。その中で孵った幼虫は、葉の内側を餌にして成長する。驚くのは、オトシブミは、この作業に粘液などは全く使わず、巻いた葉の一部を他の部分に引っ掛けるだけで仕上げていくことだ。スケール的には、人間が空中で6畳ほどのブルーシートを畳むのと同じくらいだろう。まことに巧妙なテクニックというほかはない。残念ながら色っぽさとは無関係だったオトシブミだが、他にも面白い話はある。オトシブミの雌が揺りかごを作り始めると、雌がその周囲をつかず離れずうろついていることがある。他の雄が来て交尾するのをガードしているのかと言えば、雌は葉を巻き始めには既に卵を産み付けていて、その卵の父親は確実に自分なのである。雌は巣が完成するとその場を離れ、他の葉に移る。そこで他の雄と交尾し新しいオトシブミを作るのだが、雄は、雌が目の前でオトシブミを完成して他の葉に移るまでずっと見守るのである。精力的で社交的なママと、役立たずで優しいパパという組み合わせは、他にもありそうではある。

バレンタインデーがチョコレートメーカーの策略なら、もちろんホワイトデーも柳の下の二匹目のドジョウを狙った策略である。こちらは菓子屋が作ったもので、キャンディーやマシュマロをお返し名目で売り付けようとした。しかし、あまりにも見え見えの商魂がすぐに見破られたのか、バレンタインデーほどにはポピュラーにはなっていない。日本から始まったこの悪習は、韓国、台湾、中国の一部にも広がったらしいが、これも廃れつつあるという。中国では「白色情人節」と表記するらしいがなんだか生々しい。孫ほども齢の違う生徒からチョコレートは好きですかと聞かれることがある。大っ嫌いだと答えると、それじゃあ何が好きですかという。鯵フライだというと話はそこで終わる。ところが、ちゃんと話を真に受けて、誕生日に鯵フライを買ってきてくれた生徒たちが、かつて一組だけいた。なんでも口にしてみるものである。